特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2014.07.07

今日は七夕

タンザニアにいる時のこと、私の大学時代のラグビー部の後輩がアフリカまで遊びに来ました。
そこで、星の話になり、
「天の川は年に一回しか見られないんですね。そのときに、彦星と織姫が会えるんですね」
とロマンティックな話をして、笑ってしまいました。
そうです、天気さえよければ、天の川はいつでも見ることが出来ます。
さて、3年前のことです。
東日本大震災からまだ数か月しかたっていないとき、私は東北とスーダンを行き来し、
あることを実現しようとしていました。
2005年1月9日、スーダンでの長年の内戦が終結しました。
6年間の暫定期間を経て、南部スーダンの人たちの住民投票で南スーダンが独立するかどうかを決める、ということでした。
2010年の暮れ、我々ロシナンテスは南北スーダンの子供たちの触れ合う場を作ろうと、
スーダンのハルツームの子供たちを南スーダンのジュバに連れていき、サッカー大会を開催しようとしていました。
そのときの政治的な雰囲気は、
スーダンは統一スーダンで暫定期間と同じように連立政権でひとつのスーダンで今後も行きたいと考え、
住民投票前の南スーダンでは、スーダンとは別の国を作ろうとしていました。
この企画にスーダン側は、とても理解を示してくれ、大臣クラスも同行する予定になっていましたが、
独立の気運の南スーダンは、このような南北の親睦を図るような企画は御免こうむりたいとことで、
結局は南スーダンの雰囲気もあり、この企画は実行するに至りませんでした。
2010年12月のことです。
それから、年が明け2011年1月9日、南スーダンで住民投票が行われ、圧倒的な多数で南スーダンの独立が訴えられ、
スーダンもそれを認め、南スーダンの独立が決定しました。
6か月間の暫定期間を置き、2011年7月9日に独立と決まられました。
そして、3月11日がきます。
私はスーダンの医師たちを連れて東京の上野にあるNTTのビルの中でスーダン支援の話し合いを行っていました。
その時に、東日本大震災が起こりました。
スーダンの医師たちは、翌日に帰国してもらうことにし、私は東北へすぐに行くことを決心しました。
緊急医療支援を行いながら、東北(宮城県の閖上)の子供たちと、一緒になって避難所を元気づけたいと思い、
イベントを多く手掛けてきました。
そんな中、私の頭の中にあるアイディアが浮かびました。
南北スーダンの子供たちを東北に連れてくることが出来ないか、と。
困難極まりないことでしたが、多くの方々の協力により、南北スーダンの子供たちを日本に連れてくることが出来ました。
これには期限があり、7月9日までに子供達をスーダンに連れて帰らないといけませんでした。
新しい国ができるためです。
この事業を、ミルキーウエイ・プロジェクトと名付けました。
東北では、被災地を視察し、閖上の子供たちと大運動会を開催しました。
その様子は、ぜひ、動画をご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=6fxKNjews7o
この運動会のほかに、京都の清水寺に、長崎の小学生と交流を、東京では外務省に表敬訪問を行いました。
あれから3年です。
南スーダンは大きな祝福の中独立をしたものの、内戦の危機もありました。
東北の復興、とくに閖上の復興は芳しい話は聞かれません。
しかし、我々ロシナンテスは、せっかくの頂いた御縁を大事にしようとしています。
清水寺の貫主さまからは、スーダンのハルツーム大学に建設中の「無東西」の揮毫をしてくださいました。
長崎の小学生には、私が今年も講演に行くこととなりました。
今年で3回目となりました。
そして、南スーダンへはこの8月にも訪問する予定にしていますし、
東北の方たちをスーダンにお連れすることも考えております。
時代は移ろえども、この人と人との御縁を大切にしながら、今を懸命に生きていきたいと思っております。
川原尚行