ハルツーム大学での長崎原爆展
2011年、東北での大震災後の活動を続けている中、
南北スーダンの子供たちを被災地に連れて来て
被災地の子供たちと大運動会を行おうと考えました。
多くの方々に御支援を頂いて、この大運動会が実現しましたが
せっかく日本に来たのだからと、長崎にも南北スーダンの子供たちを連れて行きました。
長崎で、真っ先に訪問したのは、原爆資料館でした。
その後、紙芝居をみて、物語として原爆を理解してもらいました。
最後に慰霊碑に手を合わせました。
子供たちの中には、学校で原爆の勉強をした子もいて、みな熱心に勉強していました。
私はそのときに長崎市から平和特派員という身分を頂きました。
「何をすればよろしいのですか?」と尋ねると
「今回のように長崎の原爆を世界に知らしめてください」
ということでした。
2011年1月、南スーダンの独立が決定されました。
同年2月、ハルツーム大学が、
縮小された新たなスーダンの国の発展のために世界から学術的な立場で教えを乞おう、
という意味で、学会を開催しました。
ロシナンテスにも声がかかり、
第1回目は医学が中心だったので、九大医学部から二名の先生に来ていただきました。
2012年、再びハルツーム大学から、また日本から先生を読んでください、と声がかかります。
今度は、医学ではなく工学を中心としたもので依頼があり、
九大、熊大、理研、鳥取大学、民間企業などから来てもらいました。
日本から、計8名がスーダンに来ていただきました。
この年は、中国を抜いて一番の参加人数でした。
2013年2月、第3回目の学会です。
今回は、人文系でと依頼が来ました。
そして私は、私が長崎市の平和特派員であることをハルツーム大学関係者に話しました。
「長崎の原爆そのものに焦点をあてるより、如何に復興したかを焦点にしたいのです。
さらに、福島の原発のこともあります。
日本へのメッセージも含めて、ここスーダンで長崎の原爆展を開催したいのです」
と、私は力説し、大学関係者も、「それではぜひお願いしたい」と了承してくれました。
長崎に足を運び、長崎市長、長崎大学長に相談しながら、
長崎日赤原爆病院長の朝長先生がもっとも相応しい方と紹介いただき
病院に出向き、事情を説明するとハルツーム大学での学会参加を快諾してくださいました。
また、長崎ピースミュージアムにも相談し、原爆展の資料を貸していただけるようになりました。
長崎市によると、原爆資料をアラビア語で翻訳したことはないそうで、
これは、ロシナンテスのスタッフとハルツーム大学とが協力して、完成しました。
それとは、全く別に偶然、奈良県立医大で行った講演に、
福島県立医大の学生さんが講演に来ており、
この話をすると、ぜひともスーダンでの長崎原爆展に参加したい、との意向でしたので、
長崎で、御自身が2歳の時に被爆された朝長先生、
福島で原発事故があったときの福島医大の現役の学生さんという
ペアでスーダンに来ていただくことになりました。
2月25日から28日までが学会です。
在スーダン日本大使館からの後援もいただきました。
スーダンの学生へのアピールと、日本の若者への密かなメッセージも含んでいます。
川原尚行