ハルツームにいる南スーダンの子供たち
2011年、震災の後、南北スーダンの子供たちを被災地そして京都、東京、長崎と連れて行きました。
それが、御縁となって今でも南スーダンの人たちと関係を保っています。
マリオという、身長2メートルの、心優しき男がいます。
彼は、ハルツームにいる南スーダンの子供たちに、各種のイベントを行って、厳しい環境の中、
子供たちを楽しませてきています。
そのマリオから、ぜひとも連れて行きたいところがある、と言われ、息子と椎葉君と一緒に行きました。
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2011年、スーダンから南スーダンは独立しました。
スーダンの首都のハルツームには、多くの南スーダンの人たちが住んでいました。
もともとは、戦乱のあった南スーダンから戦火を逃れて、ハルツームへとやってきた人たちです。
もう20年以上も前です。
国内避難民と呼ばれています。
彼らは、ハルツームの中で仕事をはじめ、子供を学校にやり、難民キャンプというより村落を形成していきました。
それが、新しい国ができたとのことで、南スーダンに戻っていきました。
これには、巨額なお金が必要ですが、国連の支援などもありました。
ただし、南に帰った人たちから、家はない、仕事はない、学校はない、病院がないと言われ、
ハルツームに留まる人たちも出てきました。
しかし、スーダン政府は、南スーダンの人たちが仕事をすることを許さず、結局多くの人たちが
職を失って、再び難民化する現状が起きています。
そして、また再び南スーダンに帰りたい、と言っています。
最近は、スーダンと南スーダンとの関係は修復され、南スーダンに人たちは外国人登録を行って
仕事が出来るようになったと聞いています。
まさに、政治に振り回されています。
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そのような中、マリオに連れられての学校訪問でした。
子供たちを前にして、難しいことは一切言わずに、挨拶を交わし、バレーボールをし、
そして一緒に歌をうたい、ダンスを踊りました。
日本から持ってきたお菓子をプレゼントしましたが、数が足りてなく、どうしようかと思っていたら
大きな子どもが、「小さな子どもにあげてください、私はいりませんから」と言われ、非常に感心しました。
南スーダンの踊りは、とてもエネルギッシュです。
男女が別々の列をつくり、相対します。
そして、全員が歌を歌う中、男の子2人が女の子のところに行き、好きな女の子の前に行って
踊りを促します。
それに呼応して、女の子が男の子と中央に出てきます。
男の子が、足を踏み鳴らして女の子に歩み寄ります。
女の子も、それに合わせて足を踏み鳴らします。
これが、見事な踊りで、人間の根源の部分の男女の求愛を表現していました。
我が息子と椎葉君は、その中にまぎれて踊りました。
女の子を誘いに行き、それに応じてくれ、女の子も踊ってくれます。
断然、女の子の踊りの方が上手です。
大爆笑の渦の中、みんなで踊ります。
生きるって、こんなことなんだ!と強く感じました。
目の前の喜びを最大限に感受して、それでみんなで笑顔になる。
アフリカの子供たちに教えられています。
その後、再び難民キャンプと化したところに行きました。
上述しましたが、南スーダンが独立してからできた難民キャンプです。
外に机をおいて教会をつくっています。
いろいろと、援助してくれとの話がでてきます。
表面的なことでは、何も変わりません。
問題は深いところにあります。
なぜ、こうなったのか、歴史を知ることから、考えないといけません。
翌日、南スーダンの人たちが、売っている動物の置物や、首飾りをたくさん購入しました。
そんなことしか、出来ませんが。
南北スーダン問題は、極めて難しいですが、子供たちの笑顔が続くようにと願うのみです。
川原尚行
