特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2013.01.29

村人との会議を終えて

昨年の6月に、活動停止命令を受け、現在はJICAの名前で活動を継続させていっていますが、
私自身は、ハルツームに釘付け状態で、昨年の6月以降、地方に行くことが出来ません。
そのために、会議を首都のハルツームとして、村の人たちに来ていただきました。
約8か月ぶりの再会です。
ハサン、オスマン、ダファアッラ、その他懐かしい面々がガダーレフから到着したバスの中から顔を出してきます。
「やあ、やあ」
と、スーダン式の挨拶を交わし、JICA事務所の会議会場に向かいます。
ガダーレフ州保健省のアブダッラ次官も来られます。
彼は、重鎮ですので、バスではなく、公用車での登場です。


始めの挨拶が続き、そのあとに私は沖縄での戦後の保健師さんたちの活動を現在のスーダンの地方の
状況と比べ合わせながらに、発表をしました。
スーダンの人たちには、これが結構うけたようです。
何しろ、戦後の沖縄の姿と今のスーダンの地方に重なり合う所が多々あるのです。
社会インフラが何もないところで、いかにするか?
さらに、双方に共通するのは、今とは違ってしっかりとした共同体が存在した、存在していることです。
自分で発表しながらも、どうしたらこの共同体を再形成できるのかを考えていました。
これは、日本のことです。
さて、その後、村の人たちから、ロシナンテスへの感謝の言葉が述べれら、さらに要求がなされます。
学校が足りていない、水が問題である、診療所のフェンスがない、などなどです。
もうロシナンテスは、ほとんど何もできません。JICAの名目で行っているこの事業も今年の3月、
もしくは6月で終了です。
あとは、一緒に考えていくことが出来ます。
そのための第一回の会合でした。
事情を正確に把握できたのかどうかはよくわかりませんが、このような会合を何度となく繰り返す必要があります。
会議では、今後の診療所の運営委員会を設置することとなりました。
これが機能してくれることを期待しています。
また、保健省より健康保険料を農作物で物納できる制度があると言われ、あかたも江戸時代の年貢を思い出しました。
会議終了後、村の人たちから、贈り物を頂きました。
肩から掛けるたすき(スーダンではよくあります)と盾です。
それには、
Dr. Naoyuki Kawahara, The Hero of Rocinantes
とあります。
深い意味はわかりませんが、私はロシナンテスのヒーローという肩書です。
今は、まだ私自身がハサバッラ村に行くことはできませんが、政治なんてものは、いつどう変化するのかわかりません。
いつかは行けるでしょう。インシャッラー!
(了)
川原尚行
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