生と死
日本にいる大学時代の友人からメールが来ました。
私の子供たちを取り出してくれた産婦人科の先生がお亡くなりになったとの報です。
その先生の、ご子息も、産婦人科の先生で、大学で産婦人科を私に教えてくださいました。
地元が同じであり、大学の尊敬できる先生のお父様で、子供たちの出産をお任せするようにいたしました。
私の息子が大学2年ですので、20年も前のことです。
私は、当時研修医でとても忙しく、出産の日に、ようやく時間が取れて、病室に駆け込みました。
先生が、「誕生日はごまかしませんからね」と言われ、それも当然のことです、と思っていました。
先生が、どうしてこのようなことをおっしゃるのかというと、
私と父親が同じ誕生日であり、また私の息子も
同じ誕生日に生まれてきそうだったからです。
時が過ぎ、日にちが変わろうとしていた時に、長男が生まれてきました。
3代同じ誕生日となったのです。
それよりも、家内と長男が無事で、本当になりよりでした。
それから、長女も先生にお世話になり、無事に生まれてくることが出来ました。
今は高校3年生です。
この時も、私は忙しくしており、病室にようやくたどり着いて最初にしたのは、
病室の洗面所で頭を洗ったことです。
しばらく、風呂に入っていませんでした。
それから、本当に先生にご挨拶もすることなく、不義理にしていたのですが、
今回の訃報を聞いてすぐに日本に連絡し、葬儀に参列するように家族に言いました。
ちょうど、長男は帰省中で、家内は仕事の合間をとり、家族でお通夜に行ってきたようです。
私の大学の恩師の先生が喪主になっており、大変喜ばれたようです。
家内は、遺影を見て、優しかった20年前のお顔が、そのままそこにいらっしゃるようだ、と感じたようです。
長男も長女も、それぞれ自らを取り出してくださった先生の葬儀に感慨深い思いで参列したようです。
地元に根差すとは、このようなことかな、とも思いました。
先生の死が、私の子供たちの生へと、つながっていく思いがしました。
人と人とのつながり、そして人と地域のつながり、とはこのようにして育んでいくのでしょうか。
先生がお亡くなりになったことに対して、心よりお悔やみ申し上げるとともに、
感謝の気持ちも改めて心に抱きました。
川原尚行