閖上桜
スーダンにいながら、自然の厳しさを体感しながら、そしてなぜか東北を思い出しています。
我々は、宮城県名取市の閖上の方々が避難する体育館で医療活動を始めたのが、今まで継続する活動の原点となっています。
そして活動を継続していく中で、閖上小学校に通う子供たちと、仲良くなっていきました。
避難所が学校ですので、各教室にも避難された方々が入っています。
その中で、子供さんのいる教室の方々がおっしゃっていたのは、
「子供は、泣いたり騒いだりもするけれど、子供たちのはしゃぐ声や笑顔で癒された。
子供のいる教室でよかった」
というものです。
子供さんのいない教室は、それは静かで整然としていますが、何となく暗いといったイメージでした。
そして、子供たちに避難所を明るくしてもらおうと、各種のイベントを重ねていきました。
コンサートをしたり、避難所の間仕切りに絵を描いたりもしました。
本当に避難所が明るくなっていきました。
そして、この避難所の方々とお花見をしました。
大変な災害があった後で日本全体が自粛モードでしたが、被災地から日本を明るくしてもいいんじゃないかと考え、
避難している方々とも相談し、ぜひやりましょう!となり、花見となりました。
本当にきれいな桜の花を愛でることが出来ました。
その後、子供たちと閖上のシンボルである日和山に桜の木を植えました。
この桜の木が大きくなって、またお花見しようね、
多くの命を失くしたのですが、そこから小さな命を育んでいこうと思いました。
「桜に名前を付けましょう」、と子供たちと一緒になって考えました。
そして、「閖上桜」と名付けました。
閖上の方々や、全国から訪れる方々からも、「閖上桜」のその後はどうなっているのかと気にされていました。
そして、日経新聞の記事にまでなりました。
その「閖上桜」ですが、日和山に直接吹く強烈な海風と蔵王おろしで、本当に苛酷な状況でして、
我々もあらゆる手を尽くしたのですが、現在危篤状態でして、日和山から安全なところへ移植しました。
まだ、絶対安静の状態です。
命はなくなるから、はかないもの。そして尊いものです。
そして、子供たちと再び桜を日和山に植えました。
これは、日本で潮風に一番強いと言われている大島桜です。
伊豆諸島が大島桜の故郷のようで、古いものでは八百年のものもあるようです。
この桜が立派に育って、百年以上生きていけますように、願いをかけ続けていきます。
桜が百年生きるとして、私の方が先に死ぬのですから、今はこちらが育てる気持ちですが、
ある地点からは、桜の木が私を見守るように変わる時が来るのでしょうね。
親が我が子を育て、我が子が親の面倒を見るようなものかもしれません。
川原尚行