特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2012.03.14

4つの名前

私はスーダンの運転免許証を持っています。
外交官時代は、担当の人に「はい、お願い」と言っておけば、
「ドクター、どうぞ」
と言われるままに、運転免許センターで写真をパチリととって、おしまいでした。
そして、外務省を辞めて、ロシナンテスの活動を始めて、しばらくはこの運転免許証で運転していました。
あるとき、ローカルの乗り合いバスに乗っていたときでした。
検問で、「お前は何者だ」
と聞かれ、
「医師です」
と答えて、身分証明書がわりに、私の運転免許証を見せました。
「これは、外交官が持つ運転免許証だ、外交官がこんなローカルバスに乗るはずはない」
「以前は、外交官でして、今はお金がなく、しかたなく、このよなローカルバスに乗っています」
「おまえは、怪しい!」
とのことで、しばらく尋問が続き、この運転免許証は剥奪されてしまいました。
そして、正式に運転免許証を取り直すことにしました。
今度は、正規に行います。
あっちにならび、こっちにならび、視力検査も受け、学力テストも受けました。
そして、実施試験ですが、これがなんと相当に難しく、受けるスーダン人のほとんどが落ちています。
私はハンドルがパワーステでなく、このために一瞬切り返すのが遅く、ポールに車体がふれ、失格となりました。
二度目の試験で、何とか合格しました。
これが5年前のことです。
スーダンでの免許証の切り替えは5年毎ですので、今年が免許の更新です。
ガダーレフ州にある警察署に行きます。
スタッフによれば、一時間で終わります、とのことでした。
警察署に行くと、誰もいません。
お偉さんが来ての、警備だとかで、全てで払っているとのことで、翌日にすることに。
次の日、警察の窓口に行くとまたしても誰もいません。
なぜ?
朝食に行っているのです。
待っている人たちも、食事なら仕方がない、という感じです。
なんと鷹揚な国なのでしょう。
それから、順番に並んで自分の手続きを待ちます。
結構スーダン人も並ぶことに慣れてきたみたいです。
そして、自分の番です。
「お前はWHOの職員か?」
「いいえ、日本のNGOの職員です」
「この免許証には、WHOの職員と記入されている」
今まで知りませんでした。
まあ、それを訂正して、ようやく手続きが終わりました。
今では、全てがコンピューター管理になっています。
出来上がり!と思いきや、
「お前の名前は二つしかないな」
意外なことを言われました。
私の名前は、かわはら なおゆき です。
二つしかありません。パスポートにも二つしか記載されていません。
「コンピューターには、4つの名前を記入しないと次に進まないことになっている。
あと二つ、名前をつけなさい。そしてそれを証明するものを持ってきなさい」
またしても、無理難題を言ってくるスーダン政府です。
「グレート 川原 キング 尚行 」
とか、ふざけたものはだめで、どうしようかと迷いました。
これは正攻法で行こうと、
イスラムの名前は、確かに4つの名前で構成されます。
自分の名前、お父さんの名前、おじいちゃんの名前、そして家族の名前です。
それに従うと、尚行・忠???川原です。
そうです、私は父方の祖父の名前を知りません。
私が生まれたときは、すでに他界しており、それゆえに名前を聞いたこともありませんでした。
急ぎ、日本の母へ電話します。
「義夫さん」
はじめて、聞く名前に義の人か、と少し誇りっぽく思います。
これで、私の名前が決まりました。
尚行・忠・義夫・川原です。
そして、スーダンの学校へと向かいます。
今までの経緯を話、私の名前は、尚行・忠・義夫・川原です。
といい、
「神に誓えるか?」
と聞かれ、
「お天道様に誓います」
と、それで証明書を発行してくれました。
すると、ローカルスタッフが、
「ドクターは、カワハラで通用しているから、
カワハラ・ナオユキ・タダシ・ヨシオだね」
というもので、そのようにしました。
そして警察へ
すると、コンピューターが受け付けてくれたようで免許証の出来上がりです。
「カワハラ・ナオユキ・ヨシオ」
となっていました。
つまり、カワハラが私の名前で、父親がナオユキで家族の名前がヨシオとなったのです。
もう、面倒くさいので、それで了解しました。
と、私はスーダンで、正式にイスラム的に名前が決まりました。
そして、はっきりと分かったのは、私の祖父の名前は、義夫さん、だということです。
スーダンでこんなことがなければ、一生私は祖父の名前を知らなかったのかもしれません。
スーダンに感謝します!