スーダンの岩山
休日の金曜日に、ハルツームの郊外に出ました。
北部の方で、中国がつくった製油所の近くです。
そこには、砂漠や土獏が広がっている中、岩山がいくつかあります。
それらの山に登ってみたくて、車を運転していた西條君に、山の近くまでいくようにお願いしました。
岩山は、いくつもの岩が積み重なってできた山で、考えられないような岩の積み方をしています。
山のてっぺんには、大きな岩が今にも落ちそうに、前かがみになってあります。
その山を一気に登りました。
山のてっぺんでは、それは素晴らしい光景でした。
まるで、お天道様が作られた石庭のような印象です。
今スーダンに来られている加藤さん、杉本さんは八王子の造園の方々です。
加藤さんたちから、日本庭園に関することを伺っています。
木や石が何を望んでいるのか、気や石の気持ちを汲んであげての庭造りを行っているそうです。
その言葉を思い出しました。
これは、人間にはできないな、
果たして、これは天の意志であって、岩はこのような形を望んでいるのか、などと考えましたが
これら変な形に積み上げられた岩も、お天道様の意志であるならば、喜んでこの形のままでいましょう
と言っているような気もしました。
これも、加藤さんの話ですが、庭の石を切って石畳にするときに、カッターで直線的には切らないそうです。
石を割るということをして、石がどのような形を望んでいるのかを、石に伺いながら、石畳を作り出せいていくそうです。
もちろん、カッターで簡易にきったものではないので、組み合わせるもの大変です。
石の形の相性もあるのでしょう。それをひとつずつ、組み合わせていくのだそうです。
匠の世界ですね。
スーダンで登った岩山で、日本から来られた庭師の方の話を思い出しながら、
人というのは、自然に逆らってはいけない、驕ってはいけないんだ、と改めて感じました。
そして、岩山の上の大きな岩に私の体を密着させて、瞑想にふけりました。
私の脳裏に、私の想像もしなかったものが、浮かび上がってきました。
これは、また後日。
川原尚行