第3回 集え!北九州のロシナンテたち!!
12月17日の土曜日に九州国際大学にて、上記のイベントを行いました。
このイベントは、今年で第3年目で、昨年一昨年は、北九州大学の学生さんを中心として、スーダンをテーマに行いました。
今年は、九州国際大学(九国大)の学生さんを中心として、東日本大震災をテーマに行いました。
中心として動いてくれたのは、九国大の国際ボランティアサークルである「エース」でした。
第2回のイベントのときに、客席にエースの代表の森本君がいて、
「自分たちは、このようなサークルを立ち上げました。何か一緒に出来ることはありませんか?」
みたいな発言がありました。
なかなか威勢の良いやつだなあ、と思い、今回の企画を持ち込みました。
学生だけでは、企画運営が成立するのは難しく、ロシナンテスの理事で私の高校時代のラグビー仲間である
武藤くんに責任者となってもらいました。
その後、紆余曲折はあったものの、森本君は、我々の活動している拠点の宮城県名取市に来てくれ
大嶋くんとともに活動を行ってくれましたし、その場でこのイベントに関しての話し合いも行いました。
今、スーダンにいる西條和代さんも、その時は東北におり、この話し合いに参加してくれました。
そして、北九州での話し合い、そしてメールのやり取りを行いながら、準備を進めていきました。
2部構成で、1部は私の講演で、2部は東北から「がんばっと玉浦」の谷地沼さん、大嶋くん、そして森本くん
コメンテーターとして私、それに司会としてテレビやラジオでおなじみの中島浩二さんにお願いしました。
この「がんばっと玉浦」ですが、私が震災直後に診療をしていたところの方々が、ロシナンテスのような活動の仕方があることに
気が付かれ、自分達で団体を結成したものです。
ロシナンテスが、かりゆし58やしおりさんのコンサートを避難所で行っていましたが、その時に彼らが協力者となり、その後
ロシナンテスを経由せずに、自分たちが企画し、東京に乗り込み、自分たちで直接交渉して、幾多のイベントをこなしてきました。
さらに、復興に関しても、自分たちの街をどうするかを真剣に話し合う場所をつくろうと、玉浦のみでなく、被災しなかった方々をも含んだ
岩沼市全体での復興会議を開催したりと、本当に精力的に活動している団体です。
「集え」を考えたときに、ぜひとも彼らを北九州に呼んで、直接話をしてもらいたいと考えました。
さらに、彼らは、岩沼の復興構想のなかに、ごみ処理施設も考えており、そのためにエコタウンとしての先駆者でもある北九州を訪問したいとの意向もあり、
「集え」のイベントの前日には、北九州のエコタウンを視察しました。
これには、北九州市さんには大変お世話になりました。感謝申し上げます。
さて、当日ですが、300名近い方々が集まってきてくださいました。
1部では、私がちょっと熱くなりすぎて、時間オーバーとなりました。
その後、ウィーンから駆けつけてくれた中村太地君がヴァイオリンの演奏を行ってくれました。
この太地君、私の高校の後輩にあたるのですが、現在はウィーン国立音楽大学で勉強しており、今回の震災で
自分にも何ができるか?を考え、チャリティイベントを考えて、来年の1月5日にウエル戸畑でコンサートを行います。
これは、ロシナンテスを応援してのものです。
迫力あるヴァイオリン演奏、そして私のリクエストである情熱大陸も演奏してくれました。
その後の2部では、中島浩二さんの本当に上手な話の持っていきかたで、議論が深まっていきます。
谷地沼さんは、阪神淡路大震災のときに、仕事として瓦礫撤去を行ったそうですが、行政側からの注意として
「笑顔を見せるな」との一言が、きつく響き、結局被災者の方々を会話を交わすことなく、東北へと戻っていったそうです。
そして、今回自分が被災するとは、まさか想像もつかなかったようです。
これは、私自身も考えさせられるところでして、果たして自分自身が被災するとして、どれだけのことが出来るかといっても
考えも及びません。
いつも津波のこと震災のことを考えていると頭がおかしくなりそうですし、大局的なことでラフに考えておくくらいしかできないのかなあとも思います。
また、「笑顔を見せるな」には、我々ロシナンテスとしても、全国から来てくれたボランティアの方々に注意したことがあります。
それは、「自分たちだけで笑うな!」ということです。
被災者の方々から振られた話題に対して、一緒に笑うのは一向に構わないという姿勢でした。
そのために、こうやって被災者の方々とのお付き合いがいまだに続いていることだと思います。
議論が続き、会場からの質問がありました。学生さんでした。
「我々にできることは何ですか?」
これに大嶋くんが答えました。
「わかりません。
状況は刻々と変化していきますし、私には皆様が何が出来るのかもわかりません。でも可能であれば、一度被災地をご覧になっては如何でしょうか」
そして、谷地沼さんたちが今思っているのは
「忘れないで」
ということです。
私は、九国大の森本君は、一度東北に来てもらって、彼の顔つきも変わったように思えましたし、一度見る事そして東北の方々を話をすることによって
其々の心の中で、今回の震災のことが刻まれると思います。
その後、どうするかは、その人その人で違って当然です。
最後にロシナンテスからの提案として、東北にはロシナンテス、がんばっと玉浦さらにほかの団体もありますので、それらが受け手となって
「被災地を視る」ことを来年にも行いたいと発言しました。
「そして、この実行委員会を結成したいと思いますが、この客席の中で、
実行委員になりたい方いませんか?」
と問いかけました。
この件に関して、打ち合わせは全くしていません。
もちろん、誰も手を挙げてくれないことも考えられます。
そうすると、なんと12名もの方々が手を挙げてくれました。
これだけ、議論に集中して聞いてくださったことですし、私は本当に感激しました。
そのようなことで、「集え」を終了いたしました。
「集え」の打ち上げは、わがふるさと山路で行いました。
鶴島さん、古川さん、そして山路の皆様、お世話になりました。
北九州、東北の小さな橋が出来たように思えました。
川原尚行