両親をガダーレフに
今、私のスーダンの知人である医師らに連日連夜招かれ続けています。
私の両親を連れてきている為で、スーダン人医師たちは、それぞれ日本で我が家にお泊めした方ばかりです。
両親がいうには、「本当に素晴らしい方たちだね。」
さらに、「すごい豪邸に住んでいるのね」
これも事実であり、都心部でプライベートクリニックを開業されている先生方は、お金が入ってくる仕組みになっています。
医師は、みな金持ちか?というと、これは真実ではなく、仕事がない医師やお金のない医師ももちろんいます。
ムスタファ・ハルツーム大学前学長によると
スーダンでは医師の7割から8割くらいが首都に集中している。
そして、だれも地方に行きたがらない。
なぜか、お金持ちは子供達を医学部に行かせたくて、医学部のある大学はスーダンに32もある。
お金を求める医師は、湾岸諸国や欧州に行ってしまう。
これが、現状でしょうか。
日本でも医療過疎の問題はありますが、スーダンはもっと深刻です。
昨日、招かれた医師のお父様は、86歳でお元気にされていましたが
この方は、メディカルアシスタント(医師ではありませんが、田舎では医師の役割をします。)として、ダルフールで活躍したそうです。
その当時は、今よりも医療制度はよく、地方でも質の良い医療が行われていた、とのことです。
今から50年くらい前の話です。
我々人類は、何をしてきたのか?
とふと、思うことがあります。
スーダンのみでなく、日本でも昔の方が良かったのに、と思うことが多々あります。
もちろん、それだから昔に戻れ!ということでもありません。
しかし、時を経て、改善はおろか改悪を行ってきたことは、数多くあるように思えます。
一人一人が、私欲に走りすぎたのかもしれません。
と、こんなことを思う昨夜でした。
今日から、両親を連れて、ロシナンテスの診療所のあるガダーレフ州に行きます。
多くの先生方が、「川原、それはやめておけ、お前の両親は高齢すぎる!」
と言ってくれますが、
村のハサンは、
「村人総勢で、川原の両親を迎える!」
と言ってくれております。
それを聞いた、私の父は
「それならば、いかねばならぬ」
と、疲れを見せずに言ってくれております。
もちろん、十分な配慮をして向かいます。
ここは、また別のスーダンがあります。
首都のハルツームだけでは、ある一面しか見ないことになります。
何事も、あらゆる角度から、物事を見ていかないといけません。
物質的には何もないけれど、でも、素晴らしいものがあります。
それを両親にも見てもらいたいのです。
川原尚行