認め合う社会
スーダンは暑いです。
気温は45度には達していると思います。
その中を、今日は新婚のイマッド君と一緒におんぼろ車での移動です。
冷房はなし、後ろの窓ガラスは空きません。
日本では、どうしてこのような豪華なつくりなのでしょうか?
冷暖房が完備することを前提に車作りをしています。
故障したときのことは考えてないのでしょうか?
と、ぶつぶつ心の中で言いながら、車中水分をたくさんとり、6時間の走行を終えました。
慣れれば平気なもので、快適とまではいかないものの、車窓の景色は楽しめました。
その中で、遊牧民を見つけました。
彼らは、季節ごとに移動します。
全ての家財道具を持って、ラクダでの移動となります。
生きていくうえで必要最小限度のものしか持っていないのでしょう。
まさに、シンプルライフです。
イマッド君がこれをみながら、スーダンの保健省は、この遊牧民に頭を悩ませている、と話しだしました。
彼らは、教育も受けていないし、感染症も彼らが原因となることが多く、彼らが動かないならば、保健政策が試行できるが
彼らは動き回るので、対策が講じられない、とのことです。
国際社会と共同して、何度も定住政策を行ったそうですが、うまくいかなかったようです。
イマッドと話をしながら、頭をめぐらせました。
人類の選択肢として、こういうの生活様式もありだと思います。
全てが同調するのではなくて、あらゆる生活形態があり、それもありだねって認め合うことが出来ないのかなと考えました。
もちろん、感染症対策からいうと、そんなことはないのですが、
彼らは彼らの価値を持っています。
それを我々と同じ土俵に乗せて、物事を判断することは不可能です。
遊牧民には遊牧民の、アフリカにはアフリカの、イスラムにはイスラムの生活様式、価値観があります。
それを認め合うことって、とっても重要なんじゃないのかな、と遊牧民を見ながら考えていました。
こうあらなければならない!ってなものはなく、
あれもありだね、これもありだね、っていうことだと思います。
被災地であっても、海の近くに住みたい人もいれば、海から遠ざかって住みたい人もいます。
正解なんてものはないと思います。どれもあり、かなと。
肝心なことは、お互いを認め合い、またそれが少数意見でも正々堂々として胸を張り、
多数意見でもそれが正しいわけではなく、多いがゆえに威張ることなく、それもありなんですね、と言い合えることだと思います。
どうも、最近の世の中は一つの方向に流れていく感じがして、遊牧民を見ながら、そんなことを考えていました。
川原尚行