天の川プロジェクト
7月8日、スーダンの首都のハルツーム空港での解散式。
別れを惜しみ、涙を流す南北スーダンの子供たち。
翌日に南スーダンの建国を迎える、その時点でのこの光景。
私は、無事にスーダンの子供たちを日本に連れて行き、そしてスーダンに連れ帰ることができたことに
大いに安堵を覚えると同時に、この子たちの涙を見て、胸が熱くなりました。
子供というのは、大人である我々が想像するよりも遥か彼方に思いをはせる部分があるやもしれません。
今回の天の川プロジェクトでは、南北スーダンそして日本の子供たちの心のふれあい、そして彼らの将来が本当に楽しみです。
それが本当の楽しみであり続けるように、我々大人の責任は十分にあると思います。
それにしても、今回のプロジェクトでは、7月9日以前に行うといった大前提があったために、
短期間での準備となり、本当に多くの方々に協力してのものとなりました。
この場を借りて、御礼申し上げます。
私自身、子供たちの笑顔を見ることができたことで、今までの苦労なんて吹き飛びますし、
多くの方々も、そのように言ってくださいます。
本当にありがとうございました。
日本に到着したその日の京都滞在。
南部と北部の子供たちが、それぞれの家庭にホームステイに行きました。
各家庭でご苦労はあったかと思いますが、大変良いスタートが切れました。
清水寺、金閣寺、そして映画村と京都の代表的な名所の見学を行い
日本の歴史を感じてもらいました。
宮城県の被災地である閖上では、日和山に登り、手を合わせて哀悼の意を表しました。
宗教は違えども、気持ちは一緒です。
スーダンの子供たちも真剣に津波の災害のことを見つめていました。
その後、閖上の方々のご支援により、閖上の子供たちと触れ合い、
7月3日の大運動会へと導きました。
私はスーダンで一度だけ運動会を試みて、あまりうまくいかなかった経験がありますが
今度は、閖上の子供たちが見事に見本を見せてくれますので、スーダンの子供たちも
運動会そのものを理解でき、本領発揮とともに、心の底から楽しんでくれたようです。
運動会前日の前夜祭でも、多くの方々のご支援があり、被災地の夜空を花火で彩ることが出来ました。
そんなこともあり、運動会を終えて、閖上の方々から花道を作ってのスーダンの子供たちが退場した後は
涙を流す子供たちもいました。
東京では、ちびっこ外交団として外務省にて菊田政務官の表敬訪問を行い、そして駐日スーダン大使館を訪問しました。
みんな立派なものです。
そして今回の最終訪問地の長崎では、原爆資料館に足を運び、原爆について勉強してもらいました。
なかには、あらかじめ原爆のことを知っている子もいて、みな熱心に勉強していました。
紙芝居での被爆者の方の話を聞き、多くの質問が飛び交いました。
翌日、ブラックジャックセミナーと称する実戦さながらの外科医の修練を
長崎市立西坂小学校の6年生たちと一緒にしてもらいました。
その後、給食をともにし、歌と習字そして折り紙で交流を行いました。
最後は伊王島で長崎の海を堪能しました。
嵐でしたが、海辺で開放的な気分を味わってもらいました。
まだまだ書ききれないことだらけですが、徐々にお知らせできたらと思います。
東京で初めて銭湯に入ったことや、スーダン政府から一人百ドルのお小遣いをもらったこと、
自分のものというより家族のためにお土産を買っていたこと、思い出せばきりがありません。
今、思うに、これからが一番大事です。
この子供たちの得たものを、将来に生かすためにも、我々大人が努力すべきだと思います。
最後に、本当に皆様方のご協力があっての天の川プロジェクトでした。
心より感謝申し上げます。
川原尚行