スーダン2011.02.03
生と死
ロシナンテスは現在母子保健事業を行っていますが、この中で赤ちゃんの誕生の報告がなされるたびに、自然と笑みがこぼれてきます。
人間の当たり前のことが、自分の目の前で行われることが、笑みにつながっていくのでしょう。
さて、「生」に多く接する機会があれば、「死」に接する機会もあります。
昨日がそうでした。
村での診療では、不十分で、首都のハルツームまで車で連れて行き、入院させたのですが、手遅れの状態でした。2歳の男の子でした。
男の子の遺体の処理をお父さんと一緒に行い、ハルツームの墓に埋葬しました。
お父さんは、棺を買うお金もなく、穴を掘り、直接に遺体を穴の中に入れます。
その上に大きなレンガを置くのですが、そのレンガと遺体の間に隙間ができるように、非常に気を使っていました。そして穴を埋め、埋葬が終わりです。
通夜もなく、あっけないものですが、こちらの習慣として埋葬を真っ先に行い、その後葬儀が数日間続きます。
お父さんが、
「これも神様がお決めになったことですから、受け入れるしかありません。ロシナンテスの皆様にはお世話になりました。」
と言ってくださりました。
私の子供が2歳で亡くなったことを考えると、とてもこんな風には振る舞えないだろうな、と考えながら、「死」というのが、あるからこそ、「生」あるものへの愛しさが芽生えるものだと感じました。
「生」あるものへの尊重と、私自身の「生」を大切にしなければならないと、この2歳の男の子の「死」が教えてくれました。
川原尚行