特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2010.02.09

日本からの若者たち

昨年末にJPFの仕事でスーダン南部に視察に行きました。
ピースウインズの佐久間くんという頑張っている青年に出会いました。
私と話を進めていくうちに、「私の兄が現在ナイロビにいるので、ぜひとも川原さんを紹介したいのです」
と言われ、メールアドレスを教えました。
すると、すぐにお兄さんの佐久間淳くんからメールがありました。
スーダンで研修をしたいという内容です。
私自身が、以前のようにつきっきりで病院をまわることは不可能ですが、スーダンにはたくさんの知り合いの先生、教授がいますので、彼らと協力して勉強してもらうことは可能です。
その旨をメールで送りました。
ビザの申請などの手続きは大変ですが、なんとかケニアでスーダンのビザを取得し(イブン・シーナー病院から招聘状をもらいました)
スーダンにやってきました。
しばらくは、私自身がカルトゥムに行くことが出来ずに、電話での対応だけでしたが、彼自身が積極的にスーダンの先生方に食らいついて勉強していました。
また、佐久間君は病院での研修だけでなく、ロシナンテスでの共同生活の中で他の人にも心配りが出来、素晴らしい青年でした。
本日の早朝にケニアに戻って行きました。
帰国してから結婚されるそうです。
良い家庭を築き、良い仕事を期待しています。そしてまた再会したいです。
上松かつお君という私の大学のラグビー部の後輩がスーダンに来ています。
研修医2年目です。
福岡出身なのに、なぜか北海道の北見の病院にいます。
日本の北海道を出発した際には、マイナス22度だったようで、今はスーダンで40度近い暑さを経験しています。
研修の最初は、アフリカ独特の英語を聞き取りにくいようでしたが、今ではこちらの病院での研修を順調にこなしています。
彼は、私が外務省を辞めて初めてした仕事である、当時のイブン・シーナー病院の院長で会ったバーハ先生を日本にお連れした際に、偶然にも挨拶をしています。
私が外務省在籍の時に、なんとしてでも医療の面での人の交流を再開(1992年から日本政府はスーダン政府へのODAを停止していました)させるために、努力していましたが、それが実らず、それならば、自分で行おうと思ってやった仕事です。
日本でのスポンサーを募るために、何度もどんな所にも足を運び、渡航費用、日本での滞在費を捻出しました。
北九州では、我が家に滞在してもらい、私の子供たちが通訳をしてくれたこともあります。
大学にお連れした際に、大学生協の食堂でラグビー部の連中が昼食を食べており、それでバーハ先生を紹介したことがあります。
その一人が、上松かつお君でした。
縁とは面白いもので、その上松君が医師になり、スーダンまで来ているのです。
なお、かつお君は本名ではありません。彼の顔をみれば、わかります。
坂本翼くんは、早稲田大学の博士課程で考古学を勉強しています。
スーダンのカルトゥム大学で共同研究を行うために、スーダンに来ています。
ロシナンテスあてにメールが届き、下宿先などの情報を集めたいとのことでした。
それでは、共同生活ですが、ロシナンテスの宿舎に寄生してもよいですよ。とメールを出したところ、それでも良いとのことで、現在共同生活を始めています。
スーダンの考古学は、あまり研究が進んでなく、今後、翼くんが第一人者になるのではと思っています。
松崎洋くんは、北九州大学の学生です。
昨年、行った「第一回、集え!北九州のロシナンテたち!!」の企画運営をしてくれた学生です。
インターンでスーダンに来ないかとの話を受け入れてくれて、しげちゃんの下、仕事を覚え始めています。
長髪だったのを、スーダンでみんなで坊主にし、しげちゃんと兄弟のような感じです。
とても感じの良い好青年で、今後の成長が期待されます。
日本からの若者が、各方面で活躍してくれることを喜ばしく思っています。
私自身も彼らからエネルギーをもらっています。
ロシナンテスを踏み台にして、大きく羽ばたいてほしいです。
川原尚行