スーダン南部
元旦は、ウシのミルクから始まり、ヤギ、そして最後はラクダのミルクを飲み、
お腹を壊してしまいました。
でも、360度見渡せる大平原の中、さわやかな風を浴びて、大地に直接、用をたすのは
なんともいえず、気持ちの良いものです。
二日は、早朝より、ハサバッラ村を出発して、ハルツームまでやってきました。
岩間さん、まるちゃん、しげちゃんと元気にしていました。
年末年始のスペシャルゲストで、中村恵理、真理コンビが、ロシナンテス宿舎に逗留しています。
かわいい女性陣に、しげちゃんの顔がほころんでいます。
大使公邸にて、大使館員の村上さんの結婚式がありました。
美男美女のカップルで、花嫁さんのウエディングドレスがとってもきれいでした。
大使公邸での結婚式なんて、そうそうないものと思いますが、石井大使のおはからいで、
素晴らしい結婚式でした。
私の周囲の九州の男どもが繰り広げる結婚式に、慣れているせいか、私にとっては新鮮なものでした。
さて、昨年に書くと申し上げていた南部報告を怠けていて、年が明けてしまいました。
遅ればせながら、書こうと思います。
今回の出張は、JPFの構成団体が展開するスーダン南部でのNGO活動の視察を目的としています。
私は、身分的に北部スーダンに登録しているNGOに属していますので、南部スーダンに行くには許可が必要です。
日本大使館の方も同行しましたので、スーダンの外務省から私の旅行許可証を取得してくれました。
しかし、これをHACに持っていくと、
「おまえは、HACの傘下であるので、外務省の旅行許可は無効で、HACから旅行許可を取る必要がある」
と言われ、仕方なく、それも修得しました。
これも、簡単ではなく、スタッフへの負担がかかってしまいます。
二つの旅行許可証を携えて、ハルツーム空港の国内線に乗り、ジュバにやってきました。
ジェット機で2時間くらいだったと思います。
昨日の徹夜の為に機内で爆睡。
ジュバ空港から宿舎となるホテルへと向かいます。
二つも旅行許可証を持ってきているのに、提示を求められることはありませんでした。
まあ、いつもこんな感じです。
ホテルはコンテナを改造したようなつくりですが、エアコン、お湯の出るシャワーと快適です。
なにより、レストランにお酒が置いてあります。
ジュバには、程度の良いレストランがありました。しかし、値段はべらぼうに高いです。
私は、自分では、結構お金を持参したつもりですが、最初の三日間で使い果たしてしまいました。
日本のレストランと変らないような価格でした。
大使館の杉野さんにお金を借りました。ありがとうございました。
前回ジュバを訪問したのは、2003年です。
内戦の最中でした。WHOのイタリア人の事務所長と一緒でした。
当時は、まともなホテルなどなく、イタリア人の修道女のところに泊まりました。
彼女たちは、1950年代からスーダン南部にはいりこんでいました。
そこで、自給自足に近い生活を営んでおり、修道女たちの作る贅沢な食材でなく、
限られた材料での彼女たちの工夫をした料理と、彼女たちの作ったワインを頂きました。
コンテナを地中に埋め込んで、防空壕にしてあり、何度もこの中に逃げ込んだ経験があると
話していました。
修道女たちの宗教に対しての敬虔さ、それを信じ、広めていこうとする姿に、感動した覚えがあります。
その当時は、舗装された道路は、わずか数キロでした。
役所の仕事は、木の下で行っていました。
それから6年。
内戦が終わり、和平合意の下、北部と南部スーダンの富の配分が決められ、また多くの援助のお金も入ってきています。
役所関係の建物は立派で、舗装道路は、以前と比べ物にならないくらいに延長されています。
多くのレストランもできていました。
一時期の狂乱物価は、過ぎ去ったようですが、それでもまだ物価高です。
今年の4月には、選挙が予定されています。
来年には、南部が独立するかどうかの住民投票もあります。
この二年間は、スーダンそしてスーダン南部にとっての正念場となるでしょう。
川原尚行