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スーダン2007.06.12

過去のブログより。2006年2月

スーダンに来たばかりの頃に書いたレポートをフォルダの中に発見した。
イスラームの様々な表情を伝えよう、と書き始めたのはいいのだが、そのうちに文章が乱れてきて後で手直しをしようと思いながらそのままお蔵入りにしてしまっていた5ヶ月前の報告である。
僕らの脳みそは繋がっているわけじゃないから、
下手な文章だろうが発信しなければ何も伝わらないのだ。
えい!日の目を浴びよ!(以下)
先週金曜の話になる。
ハルツームから車で走る事20分。
オムドゥルマン市の集団墓地に行き、そこでスーフィーダンスを見てきた。
スーフィーとは11世紀ごろから使われ始めた呼称であり、それはイスラームの教えを独自にとらえ、神との直接交流を目指す人々の事をさす。彼らにとって重要なのは礼拝の仕方やイスラーム法などではない。宗教の外見を整える事よりも、自分自身がどれだけ神に近づけるかに重きをおく。スーフィーの語源は『羊飼いの着る粗野な羊毛の外套を着た人』であり、つまり彼らはそういう風にして自分を俗世間と隔絶されたストイックな清潔さに身を置き、その中で神と純粋に近づこうと努力をする。異端と呼ばれながらも今では中東各地にいくつもの教団があり、それぞれが独特の礼拝を行っている。
スーフィーの辞書的説明としてはこう書くことが出来るだろう。ただし僕が見た彼らが私生活でも上記のようなスーフィーの姿勢を貫いているかはわからない。伝統や習慣として続けられている行為にどれほど当初の意図が残っているのかは通りすがりの僕には見えないからだ。
最初にそれを断っておいてから、この日の話を続ける。
イスラームの休日である金曜日の夕方6時。150ートル四方程の集団墓地の一角に、ぞろぞろと集まってきた教団の信者200人ほどが輪を作る。その人垣で囲まれた輪の中には赤緑黒の色の布地で着飾った20人程度が位置する。このダンスに参加するのは全て男性である。
内側の20人がこのダンスの先導者だ。厳密なものではないのだろうが、いくつかの役割にわかれているようである。太鼓や笛の音を鳴らす者、その中でクルクルと回り踊る者、音頭をとりながら歌う者、周りの人々が輪の内側に近づき過ぎないように制す者などだ。そして内側の彼らの率先に合わせて、周囲の人たちは体を揺らし、腕を振り、リズムをとりながら歌う。「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)」と。
太鼓と音声だけの(言ってよければプリミティブな)音楽。参加者はその低い歌声と軽い太鼓に身を任せるだけでよい。そこにいる者たちの精神状態は次第に高揚していく。落ちていく陽に染められながら、ある者は恍惚の表情を浮かべ、別の者は口をだらしなく開け、また定まらぬ視線を中空に置いている者もいる。若いのもいれば、顔にいく筋もの皺を刻んだ老人もいる。信仰という内側からの熱により盛り上げられた陶酔感の中で神を感じるのだろう。
祈りを含んだ音は空間を鈍く叩き、僕らの鼓膜と肌にびりびりと響く。
それはアッラーへの祈りでもあり、日常から自己を解放する祭りでもある。
荒井繁