特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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国際保健のレジェンド、喜多先生がザンビアへ

喜多先生との出会いは、先生が福岡にある日赤九州国際看護大学の学長になられた時のこと。学生たちにアフリカの話をしてほしいとのことで、講演を何度か行い、客員教授にもしていただきました。先生の最終講義の際にはタイミングよく帰国しており聴講できました。国際協力に尽力されてこられた先生の半生を知ることができ本当に勉強になりました。

ジュネーブから南下しますね、とザンビアへ…!

昨年の11月に私がザンビアに来て、当地に滞在している高山義浩先生と話をしていると、喜多先生と親しいことがわかりました。だったら喜多先生をザンビアにお呼びしましょうと、二人で勝手に盛り上がり、高山先生と私がそれぞれに喜多先生にラブコールをかけました。

お忙しい先生ですので、まさかとは思いましたが、「年明けにジュネーブで仕事があるので、そこから南下しましょうかね!」とザンビアに来てくださることになりました!

2月1日から8日までの1週間、ザンビアに滞在してくださいました。最初は休憩を挟んだ予定を組んでいましたが、こちらが驚くほどお元気で、結局フルスケジュールとなりました。ルサカから車で3時間の距離の、ロシナンテスが建てたマザーシェルターがあるムワプラ診療所にも、2度もいらしてくれました。

妊婦健診の様子 撮影:上山敦司

現場に行くと先生の目がさらに輝きを増していたように思えます。妊婦さんとその家族に笑顔で近づき優しく手を差し伸べられます。本当にスーっと彼らの中に入っていくのです。

各村からのヘルスボランティアリーダーによる会議  撮影:上山敦司

スタッフやヘルスボランティアにも優しい言葉をかけて下さいました。しかし見るポイントは鋭く、今の課題を指摘してくれます。

紛争地の支援とは違う難しさがある

現場だけでなく精力的に日本大使館、JICA、UNICEF、WHOなど意見交換をしてまわりました。

ザンビアで伺った喜多先生の至極の言葉です。
「ザンビアは平和だけど、紛争地で支援するのと別の難しさがあるね」
「40年前に国際協力を始めて、医療の質は随分と良くなって来たけど、次のステップに行くことができていない」
「今までの国際協力を超える、Ver2のようなものを模索していく必要がある」

喜多先生は「 Ver2の模索は高山先生も交えて一緒にやっていきましょう、またザンビアに来ますね」との嬉しい言葉を残され、当地を離れていかれました。

私はこの言葉を聞いてまさに武者震いをしてしまいました!

喜多先生、ザンビアにお越しになられて本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。国際協力Ver2がどのようになるのか、私もワクワクとしてきます。その様子を皆様にもお伝えしてきたいと思っています。

ヘルスボランティアたちとの集合写真  撮影:上山敦司

喜多先生も訪問の様子をブログでご紹介くださっています。こちらもぜひご一読ください。

ロシナンテス理事長 川原尚行

喜多悦子先生プロフィール

1965年奈良県立医科大学卒業。1976年医学博士。
1991年米Johns Hopkins大公衆衛生大学院特別研修過程修了、のちに同大学院特別研究員となる。

小児科医としてスタートし、母校、国立病院にて勤務。
NIH/NIEHS米国立研究所/環境保健研究所の客員研究員を経て、中国中日友好病院(JICA専門家)、国立国際医療研究センター、UNICEFアフガン事務所保健栄養部長、WHO緊急人道援助部緊急支援課長など、国際医療協力分野での経験を重ねる。
1988年日本政府よりパキスタン・ペシャワールに新設されたUNICEFに派遣されたが、これは日本政府が海外の紛争地域に派遣した最初の日本人医師となった。
2001年より日本赤十字九州国際看護大学教授、2005年より2013年まで学長を務める。現在、同学名誉学長。
2013年より笹川記念保健協力財団 理事長、2017年より会長として、世界中を駆け回る日々を送る。

エイボン女性大賞など多くの受賞をしているが、
1997年にはペルー大使公邸人質事件における現地医療協力支援の功績に対し厚生大臣賞、
2012年には男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣、
2013年には外務大臣表彰を受賞している他、
2006年版NewsWeek世界が尊敬する日本人100人に選出。