旧友からの電話
診療を終え、まだ暑い日差しの残る中、女子学校建設現場を見回ります。
途中まで工事が順調に行っていたなか、学校の先生の住居の建設において
設計図では、4.5メートル四方の部屋が、すごく小さく見え、計測すると
3.5メートル四方です。
これでは、狭すぎます。
ロシナンテスのスタッフと協議したりして善後策を練ります。
本当に油断も隙もあったものではありません。
今回は、このようなことのないように、建設に関しての監査官も我々で雇い入れて
工事を監督してのですが、このざまです。
(これは、わがロシナンテスが誇る協力ネゴシエーターのハフィーダ女史の活躍で
工事のやり直しに決まりました)
頭を抱えているところに、電話がかかってきました。
相手は、高校時代のラグビー部同期の友人である大島です。
シンガポールからの電話でした。
彼は、私と同じ1998年に日本を飛び出しました。
私はタンザニアへ、彼はタイへと旅立ちました。
出発する前に、東京で酒を酌み交わしたのを覚えています。
彼は、その後本当に紆余曲折の人生を経て、現在シンガポールにいます。
とってもかわいいタイの美女を奥様に向かえ、これまたかわいらしい娘さんが2人います。
彼は、同じ大学で土木を学び、その後建設会社へと就職していき、
誰もがうらやむような条件であったのに、大手建設会社を辞めて、新天地で働いています。
たぶん、彼の器がでかすぎて(綻びもたくさんありますが)、日本の会社では収まりきれなかったのだと思います。
久しぶりの電話だったのですが、ちょうど学校建設の現場だったので、
「川原おまえ、建設会社はいかに経費を安く抑えるかのみを、いつも考えているとこだよ!」
とのこと
「でも、素人に見破られるようじゃ、駄目だね」
中東のドバイの日本の建設会社で働いている時は、悩みながらも精一杯に生きている姿でしたが、
電話口では、いまは少し余裕がでてきたようです。
「俺も人生のがけっぷちを経験をしたよ。窮鼠、猫をかむで、いまでも猫に食らいついているよ!」
大島がネズミとは想像もつきませんが、さらに続きます。
「はやく、シンガポールに来いよ!一緒に酒飲もうぜ!」
とのことです。
今年中に、シンガポールに途中立ち寄って日本に帰ることにしますかね。
でも、大島と私が一緒に呑むといつもとんでもないことになるので、周囲の人は気をつけてくださいね。
川原尚行
こんなことを語りながらも、いつか酒を酌み交わそうと約束をしますが、
これが、いつどこになるのやら。