「いい知恵」と「悪い知恵」?学生に伝えたいSDGsの重要性
こんにちは、インターンの三国です。
先日、チーム・ロシナンテスの一人として長年ロシナンテスを応援してくださっており、ケナフ協議会の会長をされている、高知大学名誉教授 鮫島一彦様とお話する機会がありました。「SDGs(持続可能な開発目標)・国際開発に興味のある学生・若者に対し、今勉強している興味分野を広げ、将来どんな可能性があるかを考えるきっかけにしてもらうこと」を目標に、先生の考えるSDGsについてインタビュー形式でお聞きしました。
本ブログは、そのインタビューの抜粋となります。
SDGsや国際開発に興味のある方はもちろん、そうでないかたもぜひご一読くだされば幸いです。
鮫島先生の考えるSDGs、持続可能な開発とは何か
ヒト・植物・動物の様々な循環を中小規模で行う「総合利用システム」を開発すること。持続可能であるためには、資源の生産と消費を、地球上の生き物の許容範囲内に留めることが必要。
どうしてSDGsがこれからの社会において重要なのか
世界各国でみられる都市と地方間の人口、所得、教育、福祉の格差問題を解くカギを見つけることが期待できるからである。
「総合利用システム」とは、人や植物、動物すべてが地球の生命体の許容範囲内で生きていけるための仕組みである。それがどんなものであるかは地域によって違う。上で言う「カギ」はその地域にしかなく、どこかにあるものを持ってくるというものではない。その地域に住み人たちが昔から持っている伝統や技術、知識文化がつまっているのがカギである。そのため、カギが何かはその地域の人たちが自分たちで考える必要がある。
日本で言えば、例えば、沖縄の琉球文化、北海道のアイヌ文化がある。そういった今にも残っている文化には、生き延びるためのカギ、すなわち、知恵がつまっている。言い換えれば、人、植物、動物が共生しながらどうやっていけるのかというのは昔からの知恵の中にあり、それを知っているのは地域の人たちだけなのである。地球には天文学的な数の知恵がある。その中から、使えるものを見つけ出そうというのがSDGsである。
知恵には、「いい知恵」と「悪い知恵」がある。国連が、SDGsを掲げるよりも前の時代の考え方は、大量生産大量消費だった。みんなに物がいきわたれば、みんなが幸せになれると考えられていた。しかしながら、それは「悪い知恵」であったことが、段々とわかってきた。また、以前は、偉い人に従えば、みんな幸せになれるという考えだった。しかし、これも「悪い知恵」にもなり得る。民主主義では、市民が「偉い人」を選ぶが、それが正しいとは限らない。イタリアのムッソリーニやロシアのスターリンもある程度は、民主的に選ばれたのが例だ。人々もまた自分で考えなければならないのだ。
ただし、「いい」ことを知るためには、「悪い」ことを知る必要がある。いいことばかりしていては何が悪いことなのか永遠に分からないからだ。そのため、色々試みることが必要である。例えば、昔の人の中には、食べられない物を食べて死んだ人もいる。そのことは、彼らにとっては悪いことだが、他の人にとっては、これは食べてはいけないという「いい知恵」となった。このようなことは、何事にも言える。とにかく経験してみることが、「いい知恵」を得ることにつながる。
理想的な国際支援の在り方とは
複数の国での協力関係がお互いのSDGsの質を高めるのに重要である。お互いがお互いの長所、欠点を認め合いながら、持続可能な形で協働し、改善してゆくことが大切。
今まで、先進国は驕ってきた。自分たちのやり方こそ、最高だとし、それを途上国に提供することを支援だとしたきた。しかし、今までに述べてきたように、高等教育が発達していなくても、地域には地域に根付いた価値のある知恵を持っている。
つまり、支援で大切なのは支援する側も支援される側も「お互いの長所・短所を知ること」である。悪いところばかりではなく、いいところにも注目すべきだ。例えば、いい先生というのは、生徒の長所を見つけようと必死に探す。それを分かっている人もいればいない人もいる。それを分かっていない人からは、「鬼の鮫島」と呼ばれるが、分かっている人にとっては、「仏の鮫島」である。このように、お互いに長所を探すことが大切なのだ。お互いのいい点・悪い点を議論し、互いの合意が得られて初めて次のステップに進むことができる。
理想的な在り方というのは、あるかもしれないし、ないかもしれない。それは結果を見て初めて分かることである。例えば、大量生産大量消費は、理想的な在り方だと思われてきたが、資源が枯渇して初めて「悪い知恵」だったと分かった。現在も、科学的には証明されていないが、世界や社会に悪い影響を与えているかもしれない。人為的か自然的に関しては分からないことだらけであり、そういったことは評価する人によっても結果は変わってくる。
きつい状況が起こると、人は当たり前の価値観を考え直すようになる。今の新型コロナがいい例である。コロナになって初めてZOOMの使い方を知り、オンラインで議論するようになった。他の例として、第二次世界大戦がある。日本は、戦争で色々と傷ついたが、それが逆に日本の伝統的にあった価値観の見直しにつながり、戦後、女性の社会進出などたくさんの変化となった。このように、きつい状況というのを乗り越えることで、人は学ぶ。だからこそ、生き残ってきた知恵というのには価値があるのだ。
学生がどのように国際支援・SDGs に参加できるか
まず、何らかの専門分野の基礎を学生時代にしっかり知ること。ついで、幅広い世界的視野、特に、哲学・倫理の広く、深い視野を持つことで、何らかの国際支援・SDGsに参加することができる。
学生に期待すること
自分の専門分野をできるだけ早く発見し、その展開を世界的に活かすための体力・知力・行動力を自分なりに追求し続けること。即ち自分で生き続ける目標を自分独自の方法で発見し、行動し続けることを期待する。
まずは、自分の専門を決めて、それを深く追求することが大切である。なぜなら、広く広くと思っていると、広げ過ぎてポイントが抑えられないからだ。僕自身も学生時代(農学部)は広くやろうと考えていたが、当時の教授より、教科書や文献は全部捨てて、実験をやれと言われた。つまり、机の上でのみ勉強するのではなく、実際のところを学ぶ必要があるということである。
文系の学部なら、何かの専門を決めたうえで、それを中心に広げていく。焦点を決めるとその領域のどこまでが分かっているかが分かる。逆に言えば、どこからが分かっていないのかが分かるのだ。つまり、「分からないこと」を知るためには、まずある程度領域を決めて突き詰める必要がある。
感想
ロシナンテスでのインターンを通し、支援とは現地に根付くものであるべきだと学びましたが、今回先生のお話を聞いて改めて、ただ現地の人と共にやるだけでなく、現地ならではの伝統や文化、価値観と言った「生き残る知恵」を軸に据えることが持続可能の肝なのだと感じました。また、先生の話の中で、いいことを知るためには、悪いことを知らなければならない、よって、色々と経験してみることが必要というお言葉に感銘を受けました。この考え方は、ロシナンテスの在り方にも通じるところがあるのではないでしょうか。課題解決と言うと、つい正解を出さなければならないと考えてしまいがちですが、トライアンドエラーによって学んでいくものだと理解しました。私は、現在、大学で幅広い分野を学んでいるのですが、一度何か一つのことを突き詰め、自分が何を知らないのかを知る体験をしてみようと思います。
最後になりますが、鮫島先生、お忙しい中、貴重なお話をたくさん聞かせていただきまして誠にありがとうございました。大変勉強になりました。重ねてお礼申し上げます。