元職員の皆さまより15周年へのメッセージ【第3弾】
ロシナンテスが設立15周年を迎えるにあたり、元職員の方々よりメッセージをいただきました。
大嶋一馬様
当時携わっていた事業、職務
東日本大震災復興支援事業・東北事業部部長
印象的な出会い
ともに活動を行った田地野茜・綾田早笑美・工藤博康・谷地沼富勝(敬称略)らとの出会い。皆で一つの目標に向かって常に邁進できたこと、そのことから現在でも同じ釜の飯を食った戦友?としてつきあいがあること。
思い出深いこと
枚挙にいとまがないが、合宿生活のような生活をしていたので交代で食事の用意をしていました。ある日、私と田地野茜がスーパーマーケットへ食材を買いに行ったとき、亘理町での健康農業に参加しているおばあちゃんとばったり出くわして、おばあちゃんと田地野茜がしばらく井戸端会議をしたこと。
つらかったこと
ありません。思い出せません。
現在していること
亘理町での高齢者を対象とした健康農業の経験から、高齢者福祉に関心を持ち介護事業に従事している。
ロシナンテス15周年へのコメント
継続は力なり。15年が経過しますます成熟したことと思います。その力を遺憾なく発揮していただくことを期待します。
川原コメント
東日本大震災直後、被災者の方々の支援をしようと東北に向かっている時に、一人では何もできない!だれか一緒に動いてくれる人が絶対にいる!と考えた時にふと私の目に浮かんだのが大嶋君の顔でした。ちょうど、大嶋君は仕事のけじめがつき、自由に時間があるときでしたので、すぐに東北に駆けつけてくれました。それからは獅子奮迅の活躍で東北のすべての事業に関して、魂を込めて仕事をしてくれました。また、多くのボランティアの方々の受け入れでも大嶋君の本領が発揮され、ボランティアの方々が活動しやすい環境を整えてくれました。感謝しても仕切れないくらいの思いです。現在は地元の北九州で高齢者の方々の介護に従事されています。この分野でも革命を起こすくらいのことを成し遂げてくれると信じています。
沼井茜(田地野茜)様
当時携わっていた事業、職務
東北事業部でがれき撤去作業の長期ボランティアとして参加し、半年ほど経った頃にスタッフとなりました。
「閖上復興だより」事業、「亘理いちご畑」事業、来訪ボランティアの受け入れ、広報など。
印象的な出会い
がれき撤去作業をした岩沼市玉浦地区の谷地沼富勝さんとの出会いに感謝しています。当初ボランティアをしていた頃は、見た目の怖いお兄さん…という印象だったのですが、活動を続けるうちにお互いの活動を手伝いあったり、困ったことを相談したり。地元のため、子ども達の未来のため、精力的に日々を生きていて、忙しさで心が折れそうなときも、富勝さんに恥じぬよう私も頑張ろう、そう思ってしまう存在でした。
思い出深いこと
5年間すべてが思い出深いと言っても過言ではないので、何を書けば良いか…迷うところです。
名取市閖上地区の方々と「閖上復興だより」を刊行していました。その編集メンバーと、何度か、言いあうような場面がありました。よそ者だからこそ言えること、言ってしまうこと。これがあるからこそ、煙たがられることもあるし、重宝してもらえることもある。今となっては、そんな時間を経たからこそ、閖上の人たちと深く関わることができたのかなと思います。
つらかったこと
① 宮城で出会い、共に過ごした方が天国に逝ってしまったことです。生きていれば、会える。話せる。どうにかなる。命だけは、覆すことができない。新しい町が出来たの、見えてるかな。
② 活動は毎日あるし、全国各地からボランティアさんもやってくる。そして、他のスタッフやボランティアさんみーんなで共同生活を送ってきたので、自由な時間もほとんどない。つらくなかったと言えば嘘になりますが「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くで見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉のとおり、今振り返ってみれば、驚く程濃密で豊かな時間を過ごしたと感じています。
現在していること
2020年3月に男児を出産し育児休業中ですが、漫画編集者として働いています。
ロシナンテス15周年へのコメント
15周年おめでとうございます。川原さんが大切にされている「地元の人たちと関係を築き、共に活動をする」という行動原理のもと東北で活動をし、気づけば東北の方々と心通わせる「仲間」になっていました。立場上は支援をする側だったかもしれませんが、私は東北で働いた5年間で本当にたくさんの経験をさせて頂きました。そのような時間をくださったロシナンテスと、支えてくださった支援者の方々に、心から感謝を申し上げます。これからも、ロシナンテスが「多くの笑顔と豊かな心を育む」土壌となることを祈っております。
川原コメント
ボランティアの方々を含めての共同生活、全くプライベート空間がない生活環境、今考えると申し訳のない条件で東北での支援活動をしてもらったと思っています。しかし、そんな過酷な環境でも「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇」と捉えてくれていることに、さすが茜!と感心致します。日に日に東北の言葉に慣れ親しみ、最後はネイティブ東北弁スピーカーにまでなったことはそれだけ東北の方々を愛し、そして愛されてきた証拠だと思います。ロシナンテスの東北事業が継続できたのは茜のおかげであると言っても過言ではありません。本当にありがとうございました!!今後はおかあさんとしても頑張られてください。茜の子供さんに会いたいです!!
堺遥様
当時携わっていた事業、職務
ザンビア駐在員として、ザンビア事務所立ち上げ・事業立ち上げに従事。
印象的な出会い
ザンビアの住民保健ボランティアたちとの出会い。地域住民の健康を守るため活動する姿に胸を打たれました。
思い出深いこと
ザンビア事務所の登記完了。現地当局との困難なやりとりを経て、色んな人の助けを借りながらロシナンテスの在ザンビア拠点がゼロからイチになりました。その後の活動そのものも、もちろん思い出深いですが、事務所設立により「やっとスタート地点に立つことができた」あの瞬間は忘れられません。
つらかったこと
あらゆる経験が自分の糧になっていると信じています。
現在していること
空飛ぶクルマを開発している会社で事業開発を担当。通勤に車が必須のおかげで、ペーパードライバーを卒業できました。
ロシナンテス15周年へのコメント
今後も信頼を大切にしながら動き続けていただけたらと思います。応援しています。
川原コメント
私は無我夢中でスーダンでの事業立ち上げを行いましたが、ザンビア事業立ち上げにあたっての堺さんの苦労も多かったと思います。今思い返せばさらりとザンビアでの事務所、事業の立ち上げをやってくれたのには驚かされました。ザンビアに滞在していた多くの方々の協力を取り付けることができたのも堺さんの魅力のなせる技であったと思います。本当にありがとうございました。夢のある仕事をされていらっしゃるようで、今後のさらなるご活躍を期待しています!
田中三千太郎
当時携わっていた事業、職務
スポーツ事業、サッカーを通じてスーダンの子どもたちに元気を届ける。
印象的な出会い
同僚だったフセインコーチとの出会いです。彼は人脈が広く、彼を通じてスーダンのことを知ることができました!
思い出深いこと
子どもたちの笑顔です。スーダンでたくさんのサッカー大会を開催し、たくさんの笑顔に出会えることができました!
つらかったこと
スーダン人の気持ちが知りたくて、私もラマダンを実践した時です。
空腹、睡魔、暑さ、色々な事を感じました。
現在していること
プロサッカーチームのFC東京でサッカーコーチをしています。
毎日、子どもたちと楽しくサッカーをしています。
ロシナンテス15周年へのコメント
おめでとうございます!
川原コメント
田中三千太郎君の尽力でサッカーをすることで子供達に集まってもらい、そこで歯磨き指導などの保健事業を行うというコラボレーションを初めて取り入れることができました。このコンセプトは今後も大いに活かせるものと考えています。本当にありがとうございました。フセインコーチは、本当に素晴らしい人でしたね。日本が大好きになり、東京オリンピックでボランティアをしたいと相談があったくらいです。今後ともサッカーを通じて、子供達を健全に育てていってください。