食事を共にする
村の診療所では、我々の医療スタッフが一緒に食事をします。
村の女の人を雇用して食事を作ってもらっています。
この女性が、この村で現金を稼ぐ唯一の女性です。
そのような意味からも若干の貢献、そして多大な影響を与えているのかもしれません。
しかし、私が診療所にいると、村のいろんな人がやってきて食事に誘ってくれます。
私は可能な限り断らないようにしています。
国のトップクラスでの外交でも食事が重要視されます。
食事を共にすると、話題が自然と料理あるいは食材に向き、困難な政治的な話より
まずは、お互い打ち解けて、となるわけです。
それは、アフリカ・スーダンの小さな村レベルでも言えることです。
まあ、サミットのように年に一度の集まりではありませんので、
「親睦をさらに深める」、あるいは「何が誤解を生じた際に和解のため」とか
いろんな意味付けができます。
食事というのは、その話の切り出しによいのです。
ですから、私は事あるごとに、いろんな方との食事をともにします。
特にスーダンの人々は食事に関して、極めて強い思い入れがあるようです。
一昨日、村の学校の先生方と一緒に食事をし、そのまま学校に泊まりました。
そうすると、酋長のハサンは、なぜ「うちで食事をしない」と怒り心頭の様でした。
「かわいい男の嫉妬」のようでもありましたが、次の日にはきちんとハサンと食事をしました。
牛乳に砂糖を入れ、パンを入れただけの簡単なものでしたが、美味しく頂きました。
これは、対外的なことだけでなく、親しい人、家族でも言えるでしょうね。
私も帰国した際には、可能な限り、家族とともに食事をしたいです。
テレビなどをつけずに(我が家はテレビをあまり見ませんが)、良い音楽またはラジオを聴きながら
食事を楽しみたいですね。
もちろん、日本でも家族以外のいろんな人と会って食事をします。
スーダンでもしかりです。
それで、私の体型のようになると・・・言い訳になるかどうかですね。
川原尚行