金曜日の話
「今日の3時から食事をするから、来てよ」
家を出たときに顔をあわせた近所の友人に誘われた。
用事を抱えていた僕は、了解!と手を上げてそのまま車へ乗り込んだ。
約束の時間に友人の家に行く。
広い敷地に何枚も敷いたゴザの上で
男たちが大きな盆を囲んで食事をしている。
車座の中央の盆にはいくつもの料理が載っている。
盆の数は6、そしてそれぞれを7人ぐらいが囲んでいる。
立ち話をしている人も、遅れてくる人もいるので
全員で70人ぐらいにはなるだろうか。
家の裏手では女性たちが、
キーの高い笑い声を出しながら
料理を器に盛っている。
これは何のお祝いなのだろうか?
隣に腰を下ろした人に聞いたら、今日はおじいちゃんの快気祝いだと言う。
18日前に腸閉塞の手術を受け、無事に退院できたので、
こうやってアッラーに感謝をしているとのこと。
ほらあそこにいるだろ、
そう言って彼が指した方向の3人に1人はそのくらいの年齢で、
僕には誰が主役だかはわからない。
食後に甘い紅茶を飲みながら、自分の進路を考えていた。
僕は今スーダンの方言をある程度使えるようになり、スーダンの生活を知りつつある。
貴重な知識を得て、経験も積んでいるが、それと平行して僕の残り時間は減っている。
時間は、若さは限りがある。
いつまでスーダンで生きていくのか。
そのとき老齢の男性が僕のところに歩いてきた。
挨拶をする。
彼は僕に言う、「今日は来てくれてありがとう」
ようやく会えた本日の主役だ。
しばらく話をしていたら、充血した目を小さく笑わせながら
ところで手術跡をみてみるかい?
だなんて言って、服をたくしあげ、腹部の縫い目をみせてくれた。
手術が遅れたら腹膜炎になって死ぬかもしれなかったそうだ。
家の外では彼の小さな曾孫が遊んでいる。
長く生きてきた命と、始まったばかりの命を見て思う。
これからも僕は好きなことをやって橋をかけていこうと。
今はつまりスーダンと日本の間に。
よく気づくのだけれど、
よく忘れてしまうなあ、こういう事。
荒井繁