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スーダン2008.06.16

どっちが幸せ?80歳のおばあちゃん

スタッフのハフィーダの家に週末は泊まりに行ってました。
彼女の家は彼女曰く スーダンで中くらいの階級の家。
いわば庶民宅です。
ここでも同じように大家族。
両親とともに、ハフィーダの兄弟の奥さんその子供、などなど10人くらいで生活してます。
一緒に住んでるハフィーダのおばあちゃん。
80歳くらいだといってますが、
スーダンでは正確に自分の年齢を知っている人が少ない。
誕生日も覚えやすいといって1月1日に(勝手に)する人が非常に多いし、
前にデモグラフィーをしたときに、25歳、とか30歳、、とか、40歳、、とか覚えやすい年齢の人が多かったのもそのせいだと思う。
そんな適当さは結構私は大好き。
さてさておばあちゃん。
丁度私がナースということもあって、家族の人から彼女が歩けないんだけど、どうしてか?
どうしたらいいのか?など質問を受けました。
確かに彼女は日中ベットで横になったり座ったり。
食事も自分で取れるし、話だってきちんとできる。
歩くことは周りの支えが合ってよたよた2,3歩。
確かに膝や大腿のオペをしたりすれば良くなるかもしれない。
私は日本でリハビリの病院に勤めていました。
そこでは80歳くらいの方も一生懸命リハビリをしたり、
もちろん若い人が事故後のリハビリもしています。
ただ日本の病院でよくお年寄りを入院させている家族から耳にした言葉は
『最低でも自分で身の回りのことが出来なければつれて帰れません』
『介護の負担が大きいのでせめてトイレにさえ自分で行ってくれたら家に連れて帰るんだけど』
もちろん、そうです。
核家族の日本では介護が必要なお年寄りを見るには
日中誰もいないことが多く、
家にいるお嫁さん、など一人に対する負担がかなり大きい。
ハフィーダの家に3泊した私はそのおばあちゃんの様子を見てました。
家族は10人くらいいて、しかも週末はひっきりなしに隣人やいとこが遊びに来るので
おばあちゃんは常に誰かと会話してる。
そとでベットを出して
(ここはベットがイス代わりになる)
みんなで喋ってるときに突然の雷雨
(みんなでおばあちゃんごと家の中に移動)
おばあちゃんは気の向いたときに寝たり起きたり、はたまた喋ったり
(私まったくアラビア語駄目ですがずっと話しかけてくる)
食べたり飲んだり
(肉もがつがつ食うし、脂もんだってなんのその)
なんせ女性がたくさんいるのでみんなで作って、
子供の世話もみーんなでする
(誰が誰の子供かもわかりゃあしない)
なんか、こんなふうに家族の中で年をとるのって幸せなんやナって思いました。
大家族でご近所さんもみんな顔見知り。
時にうっとおしいくらいプライベートがないけど、常に誰かがいる。
でもお年寄りを病院に入れることが悪いって言ってるんじゃないです。
私のおばあちゃんも鹿児島の山奥に住んでいて、転んで骨折。
そのまま一度も家に帰れず、
うちのお父さん含め子供たちはみんな鹿児島を離れていて
年に数回見舞いにいけるのがやっと、
呼び寄せることもできず、そのまま施設で数年過ごし
大好きな野良仕事をもう一回する夢も果たせず なくなりました。
そうしかできない事情もある。
それに核家族の日本で日中誰とも話しをせずに家でいるよりは
施設や病院に来て、茶のみ友達のように
病院で話したり若いスタッフと話したり、
レクレーションをしたり家でいるより楽しいことがある。
そしてナースの私が言うのもなんですが、他人だから介護できるってこともある。
私たちは仕事だから。
仕事が終われば患者さんとはなれてプライベート
(私は仕事が終わればこれっぽっちも仕事のことは思い出さない)
その代わりプロの仕事を提供しなければならない。
一人で誰かを介護したら24時間ずっと一緒。
日本では一人当たりの負担が大きすぎるんじゃないかな?
介護も。
子育ても。
だから虐待とかになるんじゃないかなぁ。
日本を否定するわけではないです。
私は世界の中で日本が一番好きやから。
ただ日本では昔になくしてしまった大切なことがここには残っているような気がするだけ。
それが何かははっきりわかんないけど。
向井