スーダン帰任
短い日本滞在も最後となりました。
4月30日夜に日本到着、5月6日出発でした。
それでも、今回は、東京、島根、広島、長崎と飛び回りました。
仕事はほとんどなく、プライベートな事ばかりでしたが、
子供たちの活躍も見られて、充実したものでした。
もちろん、メインイベントは霜田君の結婚でした。
今は新婚旅行の最中です。
さて、6日の日は関西空港からの出発です。
ゴールデンウイークの最終日であり、飛行機の予約は取れず、
新幹線での移動です。
荷物は50キロを超えており、これをどうやって運ぶかが問題ですが、
「なんとかなるさ!」
といつもの楽観主義に考えていましたが、大変な目にあいました。
新幹線の小倉駅では、家族と海原君が荷物を車内に運び入れてくれて助かりました。
もりろん、自由車は満席で私は車両の真ん中に立っていました。
もしかして、座れるのではないかと1両目に乗ったのが、間違いでした。
新大阪では、関西空港へ行く「はるか」との接続時間が12分ありました。
余裕と考えていたら、満席の新幹線が各駅に止まるたびに、1,2分ずつ遅れていきました。
そして、新大阪へは7分遅れで到着の予定です。
ただ、車内放送で「はるか」への接続を調整しています。
とアナウンスがあり、ほっとしていたところです。
さて、降りなければいけません。
立ったまま、新大阪に着きましたが、荷物が計5つあり、
肩にからう、首にぶら下げるなどしても、どうしてもうまくおさまりきれません。
新大阪では、私がもたついていると、新幹線にお客さんが乗り始めました。
「降りまーす!」
と大きな声を上げ、一旦降りてもらい(そうしなければ、50キロ以上の荷物が通らないのです)
必死の形相で、新幹線を降りました。
それから、1両目からエスカレーターまでの距離の長い事!
荷物は途中で崩れ落ちていきますし、半泣き状態でホームを走りました。
そして、やっとのことで在来線についたところ、
目の前を「はるか」が過ぎ去っていきました。
時間調整していると言ったのに!
仕方なく、次の特急「くろしお」に乗り、途中で快速で関空に向えば10時過ぎに空港に着くことが分りました。
飛行機の時間は23時15分です。
通常の国際線は2時間前までにチェックインとなっています。
ギリギリの時間です。
さて、車掌さんに聞くと、乗り換え時間は2分で同じホームに快速は止るといっていたので、
重たく、かさばる荷物があるので、一安心と思っていました。
特急「くろしお」を降りました。
あとは快速に乗るだけだと思っていました。
ホームの目の前の列車は
「和歌山」行きの表示がされています。
これじゃないんだな、関西空港行きの列車は特急「くろしお」と同じ番線に入ると思っていました。
すると、放送で
「関西空港行き快速が出発します」
とアナウンスがありました。
「えっ!前の列車は和歌山行きでは?」
と思いながらも、前方に走っていくと
そこには、きちんと表示がしてありました
「関西空港」
そして、無常にもドアが閉まり、出発していきました。
「ゲーッ!これは、国際線に乗り遅れる!」
重い、かさばる荷物を持ち、タクシーで行こうと改札口へ向う(これが結構遠かったです)と
次の快速があることが判明、
これにかけよう!
とまたホームへと向います(同様にこれも長かったです、もう半べそ状態です)
やっとのことで、関西空港行きの快速に乗れる事が出来ました。
到着時間は23時19分です。
JRの関西空港駅にはトローリーがあります。
これで、こっちのものです。
重くてかさばる荷物をこれにのせ、全力疾走!
関西空港のエミレーツの係員から
「川原さんですか?お急ぎください!」
と言われ、なんとか飛行機に間に合った事を確認できました。
一安心したところに、係りの人から
「荷物が5キロ超過になっている」
何を今更、と思っていましたが、
仕方なく、バッグの中から5キロ減らそうと思い
味噌とサランラップを機内持ち込みのバッグの中に入れ替えました。
なんとか、これで許してもらい、
税関前の荷物チェックに行きました。
そこで、
「味噌が入っていますね、味噌が液体に属し、機内への持込は禁止されています」
「ガーン!」
貴重な味噌を取り上げるとは!
私は、味噌を機内に持ち込めないような社会を憎みます。
疲れ果てて、機内に乗り込み、ぐったりと寝ました。
さて、ドバイ空港に着き、ラウンジに入ると、
なんと知人が要るではないですか!
ザンジバルで活躍されている島岡さんです。
島岡さんと久しぶりに酒を酌み交わし、旧交を温めました。
島岡さんがタンザニアに行く便が先に出発です。
話が弾み、ファイナル・コールが耳に入ってきました。
「また、いつか会いましょう」と
島岡さんと別れの抱擁を交わしました。
しばらくして島岡さんが戻ってきました。
「飛行機に乗り遅れた!」
「お天道様が、二人でもっと呑みなさいと言っているのでしょう」
と二人は呑み始めました。
最後まで、笑える道中でした。
川原尚行