東日本大震災から7年
今日は2018年3月11日。震災から7年が経ちました。
震災で、お亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
私たちロシナンテスは、2年前の春まで宮城県で支援活動を行いました。そのご縁もあり、今でも東北の方々と良いお付き合いをさせてもらっています。2016年には、閖上の秋の大祭に参加し、昨年は東北・みやぎ復興マラソンを走ることもできました。九州生まれの私にとって、東北はまた別の故郷に思えてきます。
ロシナンテスは、震災の3日後に宮城県名取市閖上に入り、円満寺というお寺さんの離れの一軒屋をお借りして、多くのボランティアの方々を受け入れながら、支援活動を行っていきました。
避難所にいる方々との話の中で、閖上にある日和山の復興を願っている多くの方々がいらっしゃいました。みんな、小さな頃に遊んだ思い出深い場所だそうで、閖上の方々の精神のよりどころです。日和山にあった鳥居が津波で流されていましたので、流木となった松を取り寄せ、鳥居を建立する計画を立てました。業者に頼むことなく、ボランティアの方々を含め、みんなで力が合わせて、立派な鳥居が出来上がりました。完成したのは6月9日で、震災から3ヶ月経たない時期ですから、閖上の方々の日和山への思いが、ことさらに強かったからに違いありません。
2017年3月11日。私はスーダンにいて、日本の知人からメーッセージが届きました。
「映画の『君の名は。』の原点は閖上だそうです」
私は頭の中が「?」でいっぱいになりました。
スーダンと日本を往復する機内で「君の名は。」を狭い画面で何度となく見ていたのです。映画を見終わった後に、確かめたいことがいくつもあって、乗り継ぎ便でも、帰国便でも、機内の画面を「君の名は。」にしていました。本当に、見るごとに感動が増す映画でした。
その後、新海監督がインタビューで語っていることを見ることができました。
新海監督は、震災の4ヶ月後に閖上を訪問していて、映画の構想を作り上げていったのだそうです。その中で「この映画が、日本に昔からあった民話のようになればと願います」と言っており、そのことが特に私の印象に残りました。
そして、一枚の絵コンテを描いています。この絵には、流木の松でできた鳥居が描かれています。
この鳥居は、閖上の方々の強い気持ちで一番に再生されましたが、それだけに早くも劣化が起きました。Facebookに掲載された私の友人の日和山の写真では、この鳥居が撤去されていました。閖上の方によると、根元が腐ったとのことです。これも自然の摂理です。自然と調和しながら、閖上の新しい街づくりが進んでいくことを願っています。
スーダンの地方出張を終えて、この文章を書いていますが、スーダンの地方には、まだきれいで安全な水が得られずに困っている地域がたくさんあるのを見てきました。内戦から、停戦合意、南北統一政府、南スーダンの分離独立という激動のスーダンは、新しい国づくりが進められています。私の中では、東北とスーダンと全く異なる地域ですが、震災からの復興、内戦からの復興を今後も見つめ続けていきます。
そして、今年も東北を訪問することになるでしょう。震災から7年目の今日に、東北の復興を願う気持ちをまた新たにしました。