モハメド・ラビアの結婚
昨日はモハメドとラビアの結婚式がありました。
カルトゥムから200キロ南に行き、そこで白ナイルをフェリーで渡った
ドゥエイムという町で式は行われました。
そこは、新婦のラビアの故郷です。
以前、日本が米作を行おうと計画したところでもあります。
これは、実現できずに今に至っています。
さて、フェリーに乗るのに、大変時間がかかりました。
2台のフェリーが交互に渡しを行っているのですが、多くの車がいるために、
1時間以上待ったでしょうか。
待たされていると、新郎のモハメドがこちらにやってきました。
今、自分の故郷であるオベイドからやってきたところだそうです。
新郎がこんなにのんびりしていてもよいのか不安でしたが、
まあ、ここはスーダンです。
やっとのことで、向こう岸にわたり、式場へと向かいました。
式場は、ラビアの実家です。
そこに天幕を張り、いすを並べています。
ここは、イスラムですので男女が完全に別れて列席します。
モハメドは普段着のままです。
何が行われるのか、わからないままでした.
両家の挨拶(男の関係者のみ)が終わり、両家の代表が契約書のようなものに
サインをしています。
これが、婚姻届なのでしょうか。
それがすむと、鼓笛隊が演奏をはじめ、
皆が口々に
「マグループ(おめでとう)」
といって、片手を挙げ、指パッチんを連発して新郎を祝福します。
そして、食事が振舞われ、第1部が終了しました。
新婦のラビアの到着はまだのようです。
この第一部が終了したのは、夕方でした。
新婦が来る、第2部が始まると言われ、延々と待たされました。
そのうちに日はくれ、モハメドもどこかに姿を隠しました。
私たちも「ここはスーダン」とわりきり、ひたすらに待ちました。
そして夜の10時半です。クラクションを陽気に鳴らしながら、新婚用にデコレートされた車で
2人が登場しました。
半分、眠りかけていましたが、正装をした2人を見ると目がさめました。
2人に「おめでとう」と声をかけ、写真を一緒にとりました。
ラビアは、本当にきれいで幸せそうでした。
モハメドもきまっています。
幸せな2人を見ると、こちらまで幸せになってきます。
そして、歌と踊りで再び盛り上がりました。
こちらは、もうふらふらの状態です。
そして、宴が終わり2人が去りました。
どこに寝るのやら、と途方にくれていると、
晩飯の準備ができたとのこと、もう深夜1時過ぎです。
気力を振り絞って、夕食を食べ、寝床に案内され(近所の家です)、
気を失うように寝付きました。
今までいろんな結婚式に出ましたが、ここまで近しい人たちの結婚式に出るのは初めてで、
それも初めから最後まで付き合い、大変疲れましたが、印象深いものでした。
バージンロードは、赤の絨毯でなく、ゴザがしかれ、派手な音楽でなく、
太鼓をならしての踊りは、素朴であり、また魅力的でした。
結婚式自体に二人の純粋な気持ちが現れていました。
そして、カルトゥムにもどり、今度は霜田君が結婚のための帰国の準備を行い、
夕方に、奥様の待つ日本へと旅立っていきました。
霜田君の笑顔もまた素晴らしいものでした。
私は、明日から診療に向かい、その後月末に霜田君の後を追っかけて、帰国し
仲人を務めます。
私はモハメドとラビアから幸せの欠片をもらいました。
私自身も、いろんな人に幸せの欠片を渡していきたいです。
川原尚行