特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2007.12.26

新たなる旅立ち

あれは、9年前のことです。
タンザニアの日本大使館の医務室に一人の患者さんがやってきました。
私は、患者さんの顔を見てびっくり、
患者さんも私の顔を見てびっくり。
高校時代のラグビー部の一つ下の後輩の竹友君でした。
タンザニアのユニセフ事務所で働いていたのです。
彼は、とっても素敵なタンザニアの女性と結婚しており、
家族ぐるみでお付き合いをしました。
それから、竹友君はイラクへと赴任していきます。
そして、私はスーダンの日本大使館へ赴任し、別々になりました。
竹友君との再会は、またしても偶然に関西空港でした。
一緒の飛行機でドバイまで行きました。
ドバイで家族と一緒に食事をしました。
それから、私が外務省を辞め、日本に帰国する3日前に、竹友君はスーダンにやってきました。
これは、偶然ではなく、私がスーダンで働いてくれ!と頼んだ結果です。
竹友君のところに居候させてもらうつもりだったのです。
本当は一人でスーダンに戻る予定だったのが、高校ラグビー部の2つ下の後輩の霜田君も同行となりました。
そして男3人の奇妙な同居生活が始まりました。
その後、シゲちゃんも同居に加わり、男4人での生活でした。
竹友君は、とても気の優しい男で、自分がオーナーなのに、
他の3人にベッドを提供し、自分は床に布団を敷いて寝ていました。
今考えると、あんな狭い空間によく生活していたものです。
竹友君と約3年一緒に生活して、彼から学んだことがあります。
「無私」
彼は、自然なかたちで無私を実行しているのです。
自分のことは後に回し、人のことを喜んで何でもやっていました。
昨日、竹友君がスーダンを離れました。
新たな赴任地はイエメンです。
竹友君とは、不思議な縁で繋がっていると思っており、
またどこかで再会できるものと確信しています。
そして、今度は一緒に仕事をしていきたいです。
竹友君の新たな旅立ちに一時帰国の霜田君も同行しています。
昨日は、ドバイで高校ラグビー部の同期の大島の家で酒を飲んだことでしょう。
きっと、美味しい酒だったに違いありません。
竹友君が94年に作詞作曲した歌があり、それをロシナンテスに捧げてくれました。
これを、今後ロシナンテスの歌といたします。
竹友君、本当に今までありがとう。
また、いつかどこかで、会いましょうね。
川原尚行
青年海外協力(隊ではない)のうた
1.独立はたしたものの、貧困ははびこり
戦争・天災害は重たくのしかかる
それに対するわれは、とても小さすぎて
いったい何ができるのか、まだまだ未知だけど
この褐色の大地には、青春をぶつけられる
今は目には見えない何か生み出す夢がある
2.ふるさと・日本からは遠く離れている
家族・愛する人々に未練はあるけれど
ここまでの道は自ら選んだものだから
ただただ前進あるのみ、今更悔いはせぬ
ああ、幸せの定義とは、ああ、より良く生きるとは
それらの答えが、ここでは見出せる、そんな気がして
3.自然の中で暮らすことは、厳しくとも心地よく
子供たちの笑顔に、疲れは吹き飛んで
人は与えた時に何かを与えられる
失った時にさえも、何かが芽生えてる
ああ、直截な喜怒哀楽、思い切りありのままに
精一杯の自分出して、一粒の麦となれ