特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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スーダン2007.10.22

ありがとうシゲちゃん!

シゲちゃんが旅立ちました。
エジプトでアラビア語をさらに究めるためにです。
シゲちゃんとの出会いは、2年前のことでした。
以前にかわいがっていた学生の原田くんから、シゲちゃんがスーダンに来るという話を聞いていたので、スーダンにきたら私に連絡をするように伝えてありました。
シゲちゃんから電話がかかってきて、カルトゥムの街で出会いました。
シゲちゃんを車に乗せ、いろいろと話を聞いてみました。
理工系の大学を卒業して、就職をせずにシリアにわたりアラビア語の勉強を始めました。学生時代に知り合った留学生の影響を大きく受けたようです。そして、スーダン人の友人と出会い、彼の出身である国に行って見たいと思うようになったようです。
そして、シリアの後にスーダンにやってきたのです。
「どういう計画でスーダンで勉強するの?」
「持っている金が続く限り、スーダンで勉強したいです」
「それでいくら持ってるの?」
「○○ドルです」
「そんなんじゃ、いくらも続かないじゃん。俺が面倒を見てやるから、好きなだけスーダンで勉強しろよ」
シゲちゃん曰く、「まるで拾われたネコのようでした」
そのときは、私自身が竹友くんの居候の身分でしたが、そこは高校の先輩です。
竹友くんが、仕事から帰ってくると
「竹友、今日からこいつも一緒に住むことになったから、よろしくな」
「はい、わかりました」
持つべきものは、良い後輩です。
こうして、私、竹友くん、霜田くん、それにシゲちゃんの野郎4人の奇妙な共同生活が始まりました。
彼のアラビア語はさすがのもので、今までに出会った東京外大のアラビア語の学生さんより、はるかに高いものでした。
それも、たった1年の勉強だけです。
やはり、自分から率先しての勉強が一番身に付くものなのでしょう。
就職もせずに、大学で勉強したことと全く違った分野に進もうと決意し、そして一心不乱に勉強したのでしょう。そして、何よりアラビア語のみでなく、周囲の環境に適応し、イヤイヤでなく、自分から率先して勉強ができたからではないでしょうか。
体は小さいですが、腹は据わり、肝っ玉は大きなものを持っているのです。
アラビア語を勉強する傍ら、ロシナンテスの活動を本当に良くサポートしてくれました。
ロシナンテスでは、誰が何々当番とは決めていません。
腹が減れば、誰かがメシを作り、部屋が汚くなれば誰かが掃除をしています。もっとも部屋の汚さのレベルは他の人が見れば相当にひどいものだと思いますが。それに、私自身が一番部屋を汚くしていたものと自負します。
それらを一生懸命に率先してやってくれたのは、シゲちゃんです。
ロシナンテスを訪問してくる学生さんの面倒もよく見てくれました。
学生さんの評判も、すごく良いものでした。
いまだに、学生さんたちはシゲちゃんと連絡を取り合っているようです。
また、このホームページを作成してくれている吉岡くんを紹介してくれたのは、シゲちゃんでした。
別の一面では、辛辣な批評家でもありました。
「竹友さんは、洗濯物をきっちりと絞ってなく、生乾きで着るから臭いです」
「霜田さんは、主語を言わないから、何を言っているのか理解できないことが多いです」
学生さんたちの批評でも、
「ひろぷぅは・・・」
「玲子は・・・」
「雅子は・・・」
などです。
私に関しても、
「川原さんは日本では神格化されてきていますが、実はパンツ一丁で、でかい屁をふりまくる単なる屁こきじじいなんですよ」
表現が的確で面白かったです。
スーダンの民族衣装であるジャラビーアを着続け、スーダン方言をマスターし、シゲちゃんのスーダンでの人の繋がりは広がっていくばかりでした。
そんな、シゲちゃんが、「エジプトでエジプト方言を勉強したいので、ここを出て行きます」と言ったのは、数ヶ月前のことでしたでしょうか。
いつまでも、シゲちゃんをロシナンテスに引き止めておくことは出来ません。彼は、さらに大きな翼を持つようにしているのです。
そして、旅立ちが10月20日と決まったのです。
こうなれば盛大に送別会をしてやれ!と三日三晩続けての送別会を開きました。
初日は、WFPの郁美さんを、二日目はスーダンのかしまし娘2人をゲストに、そして最終日は関係者総勢16名での大送迎会になりました。日本から矢野先生も電話をかけてくださいました。
郁美さんがイタリアン・パスタを、霜田くんが肉じゃが、霜田漬け(きゅうりの漬物)を、竹友君がタンザニア豆料理を、えっちゃんがカチュンバリ(タンザニアンサラダ)を、そして私がカレーを作りました。
スーダンには本来あってはならない元気の水も、なぜだか皆様が持ち寄ってくださり、シゲちゃんの弾くギターでの合唱があったりで、送別会は絶頂の極みに達しました。
スーダン大阪本部長の関西弁マシンガントーク(これでも本領の50パーセントだそうです)
私の舎弟となった三田の、奥様にも見放されそうになった酔いっぷり、日野嬢の豪快な酔いっぷり(霜田くんの坊主頭を何度も叩いていました)、このお二方は我が家でのお泊りとなりました。
自らの体で楽譜台となってくれたりゅうじくん(彼のロシナンテスでの居候が決定しました。彼も勉強中の身です)、記憶のなくなったえっちゃん(いつものことだそうです)、そして彼の人生39年間で一度も
記憶のなくなったことのない霜田くんまでが昇天しました。
このような盛り上がりは、シゲちゃんがみんなに大いに愛されていたからでしょう。
次の朝、シゲちゃんは静かに旅立っていきました。
「さよならは言わないよ!
今後も場所は違えども、お互いに切磋琢磨し、大きな翼を付けていような!
そして、その翼で大空を飛翔し、七つの海を渡っていこうよ!
俺も頑張るよ!
じゃあ、また会おうな!」
川原尚行