旅立つ命③
2月2日早朝、予定していた日を一日早め、
アッタ君を乗せた車が首都ハルツーム、小児病院(スーダンでは有名な先生がおり、かつ医療費が無料の病院)を目指します。
朝からやはり顔色が優れず、なんだか嫌な予感がしますが
無事に病院に着き、ちゃんとした医療と検査が受けられることを祈って、私はガダーレフから家族とアッタ君を送り出しました。
いつもの感じで手を振って何気なく別れましたが、この時、アッタ君の姿を二度とみれなくなるとは思いもしませんでした。
実は、川原のブログにもありましたが、この日がアッタ君の最期の日となりました。
(なくなる前日、ベットの上で)
搬送した先の病院で、いろいろ手をつくしてもらいましたが、
帰らぬ人となったと知らせを受けました。
2歳という短い命でした。
悲しみよりも驚きが増していて、事実を上手く受け止めきれなかったのですが、近くにいたローカルスタッフは大きく頷き、「彼の運命」と言葉を残し、お祈りに行きました。
イスラム教は、この世にあまり重きをおかず、来世に強い力点を置きます。コーランにも「この世はただつかの間の戯れに過ぎず、来世こそが(まことの)生命」とあります。
来世でまた必ず会うと信じるため、命の終わりがすべての終わりではないと思っているようです。
その夜、不思議な夢を見ました。
昔、病院に勤めていたころの患者なのか、アッタ君なのかはわかりませんが、輸血をしようとしているのに、患者が最期の時を迎えるまで、輸血ができないように自分の手を曲げてじっとこちらを見つめているです。
私が焦りながらその点滴が正常に機能するように元に戻そうとしますが、その力がすごく強く圧倒されます。
最期の瞬間に、その子が
「あっちで、たくさん動物と遊ぶね」
と言って笑い、力を抜いたのです。
そこで目が覚め、なんとも強烈な映像がずっと頭の中に残りました。
翌日、アッタ君の家を慰問しました。
おばあちゃんの涙が私の肩をつたい、若すぎる孫の死を悲しみます。
アッタ君が、家族みんなの前で自らの苦しむ姿を見せなかったのも、何かの思し召しではないかと、不謹慎ながらそう思いました。
お母さんとお父さんはまだ首都から帰ってきていませんでした。
また折をみて訪れようと思います。
(1月20日、病院のベットで昼寝をするアッタ君)
アッタ君は、ハサバラ、ワッダルハディ、ハルツームを横断し、ロシナンテスのスタッフ皆に、「この村の実情」「命の重み」を教えてくれました。
ハサバラ村周辺には、まだまだ多くの低栄養の子供たちがいるはずです。
プロジェクトを通して、子供たちの栄養状態を少しずつ改善できるよう、また努力していきたいです。
辰野