濃厚な1週間(嶋井さんとの初めてのハサバラ村)
日本に冬が訪れるように、スーダンにも冬らしきものが訪れます。
実際には朝晩だけ、日本の秋のような涼しい瞬間を過ごすことができます。
朝晩は20度をきり、ブランケットなしでは眠れません。
昼間はまた太陽が燦々と照ります。そんな季節に嶋井さんはやってきてくれました。
この一週間、ハサバラ村では、お産が3件ありました。(私たちの知る限りの話です・・・)
1件目は村落助産師さん(1年勉強を積んだ有資格者:地元出身)によるお産。
2件目は伝統的産婆さん(無資格者:地元出身)によって自宅でなんと、双子がとりあげられていました。
3件目は診療所で、助産師(有資格者:ガダーレフの街から配置され、地元出身ではない)によってとりあげられました。
1,2件とも、翌日巡回をしたときに情報をキャッチし、嶋井さんと共に新生児訪問を行いました。
3件目はハサバラ村から分娩の知らせを受け、ガダーレフから車を走らせたのですが、向かう途中で赤ちゃんは生まれたようで、診療所で生まれたすぐ後の赤ちゃんとお母さんに対面することができました。
1~3のお産は、今のハサバラ村の出産スタイルの象徴で、2は昔からの分娩スタイル、1,3は保健省が推奨したい安全な分娩スタイルなのです。
嶋井さんには、村の女性が抱える出産事情をいずれも見ていただくことになったのですが、
出産を取り巻く家族のサポート体制、女性が小さい時に負った女性性器割礼の跡と分娩時のリスク、出産後2時間して問題がなければ退院していくスーダンの体制、診療所までの遠い道のり(移動手段も電気もない中で分娩に訪れる)など、いろいろ感じていただいたのではないかと思っています。
また、昨夜は、ガダーレフの街中にある母子病院に行ってきました。
多くの患者とその家族で病院はあふれかえっていました。
新しい命を授かり、健やかにお母さんの母乳を飲む赤ちゃんとその家族が退院を待つ中、
手術中に若い妊婦が亡くなった知らせを受けて悲鳴のような家族の啼き声が病院中に響き渡りました。
分娩にも2件立ち会わせてもらったのですが、分娩を待つ妊婦が増え、ベットがありません。
1台のベットに分娩を待つ妊婦が2人寝て、それぞれ陣痛と共に静かに闘っています。
街中での病院のお産は、ハサバラ診療所(家族が周りにいて、もう少し妊婦さんが安心できる体制)ともまた少し違い、ましてや自宅での出産からは程遠い印象です。
昨日の夜、病院から帰ってきて嶋井さんと、「濃い1週間でしたね」としみじみ振り返りました。
嶋井さんにも、この1週間の印象をブログに書いてもらおうと、お願いしてみました。
嶋井です。
日本では助産師の資格は国家資格ですが、ここスーダンではいろいろなタイプの助産師がいます。まず、そこから辰野さんに教えていただきました。
マンスーラの診療所で妊婦健診を見学させていただいた妊婦さんが、伝統的産婆さんの介助のもと、自宅で双子を出産したと聞いて、訪問しました。
男の子と女の子の双子でした。ふたりとも立派な体重がありそうです。(体重は計ってない)おふろには入れないので、胎便にまみれてましたが、たくましくおちちをすってました。日本では自宅で双子を産むなんてありえないことです。
産後のおかあさんのおだやかな顔と、普段と変わらない生活をくりかえしている家族の姿が印象的でした。
ガダーレフの母子病院はロシナンテスオフィスから歩いていける所にあり、1日に15人~20人も産まれる大きな病院です。
見学に行った時に、お産の見学をしたい・・・と申し出たところ、快くOKをいただき、夕方から辰野さんと行きました。産婦さんや産後のお母さん、家族であふれて忙しそうにしていましたが、医師は誰ひとりとして嫌な顔をせず、話をしてくれます。こっちに来て見なさいと言ってくれます。
陣痛期は医師が管理し(トラウベという昔ながらの器械で児心音を聴いてます)、分娩室に移動したら助産師が介助するという感じでした。
2人のお産を見学できました。
産まれた赤ちゃんが逆さづりにされ、ベビーベットにねかされました。
うすい布にくるまれ泣いています。
もうひとり産まれそうです。
どこに寝かせるのかな?と思って、今、産まれた赤ちゃんの横にあるものを動かそうとして触ると硬い・・・。布のすきまから赤ちゃんの指が見えました。なんと、なんと、昼間亡くなった赤ちゃんがそこに寝かされてました。 気付いたスタッフがその赤ちゃんを別の場所(といっても体重計の上しかなかった・・・)に寝かせてくれました。
生と死が隣合わせです。
スーダンの村での自宅出産、病院の管理出産、いろいろ考えた1週間でした。
嶋井 元子
嶋井さん、ありがとうございました。
いや~、刺激的な一週間でした。またレポートします。 辰野